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言葉・表現

小説の沈黙の描写|気まずさ・ためらい・親しさを動作で伝える

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この記事の答え

黙っていること自体に決まった意味はありません。書き手が先に黙る人が何を言わずにいるかを決め、それを読者が推し量れる材料を置きます。

  • 材料は、見る先、物への動作、相手の反応、周りの音の四つ。「気まずい」と名前を付けるより、この四つを選んで書くほうが、ためらい・対立・親しさの違いがはっきりする
  • 沈黙のあとの最初のセリフで、読者が沈黙の意味を確かめられるようにする
  • 黙っている間に書くことは二つか三つにしぼり、長さは時計や音の回数のような時間の目印で伝える
目次

会話が途切れる場面で「気まずい沈黙が流れた」としか書けず、それがどんな沈黙なのか読者に伝わらない。この記事では、同じ二人が夜の車内で黙りこむ場面を、ためらい・対立・親しさの三つの版で書き分け、どこを変えると沈黙の意味が変わるかを比べます。読み終えたら、自作の無言の場面で沈黙の意味を決め、そこに置く動作・視線・音を選べるようになります。

沈黙の意味は「言わないこと」と「受け取り方」で決まる

国語辞典のデジタル大辞泉は、沈黙を「だまりこむこと。口をきかないこと」と説明し、別の意味として「音を出さないこと。物音もなく静かなこと」も挙げています。小説の沈黙では、この二つが重なることがよくあります。人物が口を閉じると、それまで聞こえなかった周りの音が聞こえてきます。

ただ、黙っていることそのものには、決まった意味がありません。同じ「返事をしない」でも、言いたいことを言い出せずにいるのか、言えば言い争いになるから言わないのか、言わなくても分かり合えているのかで、まったく違う場面になります。読者はその違いを、次の三つから受け取ります。

  1. 黙る前に何が言われ、何が言われなかったか(文脈)
  2. 黙っている間に、体と物がどう動き、目がどこを向いているか
  3. 相手がその沈黙をどう受け取り、沈黙のあとに誰が何を言うか

「気まずい沈黙が流れた」という一文は、この三つのどれにも答えていません。誰が気まずいのか、何が言えないのか、相手はどう感じているのかが抜けたまま、「気まずい」という評価だけが残ります。このあと書く三つの版は、説明で済ませればどれも「二人は黙りこんだ」の一文で終わってしまう場面ですが、中身はまるで違います。

書く前に、黙る人が言わずにいることを一行で決める

無言の場面を書く前に、書き手だけが知っているメモを作ります。いちばん大事なのは、黙っている人が言わずにいる一言を、かぎかっこに入れて書いてみることです。本文にその一言を書く必要はありません。書き手が知っていれば、動作や視線の選び方に迷いにくくなります。

ひな形沈黙メモ(コピーして使えます)

黙る人:
言わずにいる一言(「 」の形で):
言わない理由(言えない/言いたくない/言う必要がない):
相手はこの沈黙をどう受け取るか(正しく受け取る/読み違える):
沈黙を終わらせるもの(どちらかの一言/音/動作):
沈黙のあとで変わること:

言わない理由の三つは、おおまかに次の沈黙につながります。

言わない理由 沈黙の向き 書き表しやすい動き
言えない(言い出す勇気や言葉がない) ためらい。言葉が出口の手前で止まっている 言いかけてやめる、同じ動作をくり返す
言いたくない(言えば争いになる、許せない) 対立。沈黙そのものが返事になる 動作をやめる、相手をまっすぐ見る/まったく見ない
言う必要がない(もう分かっている) 親しさ。沈黙を二人で分け合っている いつもの動作が続く、相手のために何かをする

これは目安で、決まりではありません。「言えない」の裏に恐れがある場合も、「言う必要がない」が諦めである場合もあります。表の三つ以外にも、相手に考えさせるための沈黙や、話を聞き入っている沈黙もあります。だからこそ、型から選ぶ前に「言わずにいる一言」を具体的に書いておくことが役に立ちます。

作例:同じ二人の沈黙を、ためらい・対立・親しさで書き分ける

奈央と圭吾は一緒に暮らして四年になります。日曜の夜、週に一度のまとめ買いの帰り、圭吾が運転する車の中で、圭吾が転勤を告げる場面です。視点は奈央に寄った三人称です。三つの版で、圭吾の一言は同じ、そのあと二人が口をきかない時間も同じ位置にあります。変えたのは、冒頭の一、二文の文脈と、沈黙の間に置いた動作・視線・音、沈黙のあとのセリフです。

作例版A ためらい

信号が赤に変わり、圭吾はウインカーを右に出した。
「来月から、札幌の支社に行くことになった」
奈央は膝の上の缶コーヒーを、両手のひらで転がした。まだ温かかった。転がしては止め、また転がした。
助手席の窓ガラスに、ハンドルを握る圭吾の横顔がうっすら映っていた。奈央はガラスの中の圭吾を見た。ガラスの中の圭吾も、一瞬こちらを見た気がした。
ウインカーの音が、カチ、カチと続いた。奈央は口を開きかけて、唇を湿らせ、また閉じた。
「……向こうって、もう雪、降ってるのかな」
圭吾は少し間をおいてから、「たぶんね」と答えた。信号が青に変わった。

作例版B 対立

先週、圭吾の上着のポケットから人事の面談票が出てきた。〈異動希望:有〉。奈央はそれを元に戻し、何も聞かなかった。
信号が赤に変わり、圭吾はウインカーを右に出した。
「来月から、札幌の支社に行くことになった」
奈央は、圭吾に渡そうとしていた缶コーヒーをドリンクホルダーに戻した。プルタブは開けなかった。
体ごと運転席のほうを向き、圭吾の横顔を見た。圭吾は前を向いたまま、ハンドルを握り直した。
ラジオの曲が終わり、明るい声の天気予報が始まった。奈央は手を伸ばしてラジオを切った。ウインカーの音だけが残った。
「急に決まってさ」と圭吾が言いかけた。
「希望、出してたんだよね」

作例版C 親しさ

行くかどうかは、夏のあいだに二人で何度も話して決めていた。夕方、辞令が出たと圭吾から短いメッセージが来ていた。
信号が赤に変わり、圭吾はウインカーを右に出した。
「来月から、札幌の支社に行くことになった」
奈央は缶コーヒーのプルタブを開け、圭吾の側のドリンクホルダーに置いた。それから自分の缶も開けた。
二人とも前を見ていた。交差点の赤い光が、濡れた路面に長く伸びていた。
ウインカーの音に合わせて、圭吾の指がハンドルを軽くたたいていた。奈央は缶を両手で包んで、その音を聞いていた。
「じゃあ、この道を通るのも、あと何回かだね」
「四回かな」と圭吾が言った。もう数えていたらしい。

三つの版で変えたところ

比べる点 版A ためらい 版B 対立 版C 親しさ
書き手が決めた「言わずにいる一言」 「私も一緒に行っていい?」 「どうして先に話してくれなかったの」 なし(もう二人で話し合ってある)
見る先 窓に映った圭吾。本人の顔は見ない 体ごと向いて、圭吾の横顔 二人とも前。同じ交差点
物への動作 缶を転がしては止め、また転がす 渡すはずの缶をホルダーに戻す 圭吾の缶を開けて置き、自分の缶も開ける
音 ウインカーの音が続く 自分でラジオを切り、ウインカーだけを残す ウインカーに合わせて圭吾の指がハンドルをたたく
相手の反応 一瞬こちらを見た「気がした」。間をおいて答える 前を向いたまま握り直し、言い訳を始める 同じほうを見て、残りの回数を答える
沈黙のあとのセリフ 本題からそれた小さな問い 隠していたことを知っていると告げる 二人のこれからの話

どの版にも「気まずい」「怒っていた」「安心した」といった気持ちの名前は書いていません。それでも読者が違いを受け取れるのは、表の六つの行が、同じ方向を向いているからです。版Aの「転がしては止める」動作と、窓ガラス越しにしか見られない視線と、本題をそらす問いは、どれも「言いかけてやめる」という一つの向きでそろっています。

特に効いているのが、沈黙のあとの最初のセリフです。読者は沈黙の間、意味を推し量りながら読んでいます。最初のセリフは、その推し量りの答え合わせになります。版Bの「希望、出してたんだよね」で、読者は奈央の沈黙が驚きではなかったことを知り、冒頭の面談票の一文とつながります。版Aでは逆に、本題をそらすことで「言わなかったこと」がまだ残っていると分かります。そのセリフをどんな声で、どの速さで言わせるかまで書き分けたいときは、小説の声の描写で扱っています。

動作と視線で、沈黙の向きを見せる

黙っている人物の体で、読者が追いやすいのは目の向きと手元の物です。

見る先は、おおむね三つに分かれます。相手を見る、相手以外の物を見る、相手と同じ物を見る。作例では版Bが一つ目、版Aが二つ目(窓に映った相手という、見ているのに見ていない形)、版Cが三つ目です。

物への動作は、普段どおりの動作からどうずれるかで意味が出ます。

  • くり返す:同じ動作を何度もする(版Aの缶)
  • やめる:始めかけた動作を途中で止める(版Bの缶)
  • 続ける:いつもの動作が乱れずに続く(版Cの缶)
  • 相手に向けてする:相手のために何かをする、相手の物に触れる(版Cのプルタブ)

ただし、一つの動作に一つの意味が決まっているわけではありません。同じ動作でも、文脈によって受け取られ方が変わります。

動作 ためらいの場面では 対立の場面では 親しさの場面では
目をそらす 言いかけたことを引っこめる 話を打ち切る、相手を拒む 照れて顔を見せない
手を止める 次の言葉を探している 相手の話を受け入れない 相手の言葉を聞き入っている
同じ動作をくり返す 決めかねている 気持ちを手元に逃がしている いつもの習慣が続いている
相手を見つめる 返事を待っている 言い逃れを許さない 言葉なしで分かり合っている

この表は、動作から気持ちを当てる対応表ではありません。どの意味で読まれるかは、前後の文脈と、次の節で扱う相手の反応で決まります。動作だけで意味を決めようとすると、一つの沈黙に動作をいくつも重ねることになり、かえってぼやけます。

「気まずい」の説明を、動作と相手の反応にする

修正前

「進路のこと、先生から電話があったよ」
その言葉に、紗英は何も言えなかった。気まずい沈黙が流れた。紗英は気まずくて、どうしていいか分からなかった。
「……ごめん」

修正後

「進路のこと、先生から電話があったよ」
その言葉に、紗英は何も言えなかった。気まずい沈黙が流れた。紗英は気まずくて、どうしていいか分からなかった。紗英は箸を置いた。味噌汁の椀に目を落とすと、ねぎが一切れ、ゆっくり底へ沈んでいった。母は茶碗を持ったまま、食べるのをやめていた。
「……ごめん」

変更の理由

  • 修正前は「気まずい」が二回あり、どちらも紗英が困っていることしか伝えていません。母に隠していたことがあるのか、母と意見が違うのかが分かりません。
  • 修正後は、箸を置く(食事より話が重い)、母の顔を見ずに椀を見る(言いかけたことを引っこめる)、母も食べるのをやめる(母も答えを待っている)の三つを置きました。そのあとの「ごめん」で、紗英が何かを隠していたことが確かになります。
  • ねぎが沈んでいく一文は、沈黙の間に流れた時間の目印にもなっています。
  • 一人称の語り手が、自分の気まずさを自分の言葉で語ること自体が作品の味になっている場合は、「気まずい」と書いても不自然ではありません。そのときも、何が言えないのかは場面のどこかで見せます。

目の向きと表情の変化を、沈黙以外の場面でも書き分けたいときは、小説の視線・表情の描写で、同じ問いへの三通りの反応を比べています。

相手の反応で、沈黙を読者に渡す

沈黙は、黙っている人だけでは成り立ちません。相手がそれを待つのか、埋めるのか、読み違えるのかで、同じ沈黙が別の場面になります。

相手の反応 沈黙に加わる意味 書き方の例
待つ 沈黙を「相手の番」として残す 圭吾は信号を見たまま、何も言い足さなかった
埋める 沈黙に耐えられない。言い訳や話題の切り替え 「急に決まってさ」と圭吾が言いかけた
同じように黙る 沈黙を二人で分け合う 二人とも前を見ていた
読み違える 読者だけが本当の意味を知っている 黙ったのを賛成と受け取り、話を先へ進める
その場を離れる 沈黙を終わらせる。関係に区切りをつける 家の前に着くと、奈央は先に車を降りた

ここで気をつけたいのが視点です。視点人物ではない人物の沈黙は、外から見えることしか書けません。版Bを、圭吾に寄る三人称に書き換えた場合で比べます。

相手の心を言い当てる書き方を、見えた違いにする

修正前

奈央は缶コーヒーをドリンクホルダーに戻した。奈央は怒っていた。相談もせずに決めたことを責めているのだと、圭吾には分かった。重苦しい沈黙が車内に流れた。

修正後

奈央は缶コーヒーをドリンクホルダーに戻した。奈央は怒っていた。相談もせずに決めたことを責めているのだと、圭吾には分かった。重苦しい沈黙が車内に流れた。いつもなら、信号待ちのあいだにプルタブを開けて渡してくれる。左の頬に視線を感じたが、圭吾は前を向いたまま、ハンドルを握り直した。

変更の理由

  • 圭吾の視点からは、奈央の気持ちは見えません。「怒っていた」「分かった」と言い切ると、奈央の沈黙が一つの意味に固定され、読者が推し量る余地がなくなります。
  • 修正後は「いつもなら」と普段との違いを一つ書き、圭吾がそれに気づいていることだけを示しました。圭吾が顔を向けられないことで、彼がこの沈黙をどう受け取ったかが伝わります。
  • 視点人物が相手の心を決めつける癖そのものを描きたい場合は、断定を残す書き方もあります。その場合は、あとで決めつけが外れていたと分かる場面を用意すると、断定が人物の性格として働きます。

読み違えは、沈黙ならではの使い方です。版Aを例にすると、奈央が言いかけてやめたあと、「奈央が黙っているのを、圭吾は賛成のしるしと受け取ったようだった。『向こうの部屋、二人で住める広さで探すよ』」と続ければ、奈央の「言わずにいる一言」とは別の方向へ話が進みます。読者は奈央の視点から両方を知っているので、場面に緊張が生まれます。

音と空間で、沈黙の手ざわりを決める

人物が口を閉じると、場所の音が前に出てきます。どの音を選ぶか、その音がどう変わるかで、同じ長さの沈黙でも感じ方が変わります。

音の置き方 沈黙への働き 作例での使い方
続く音 時間が過ぎていくことを刻む 版Aのウインカー
止まる音、止める音 沈黙が急に際立つ 版Bで奈央がラジオを切る
だんだん大きくなる音 待つ時間の長さを伝える 下の修正例のやかん
外から入る音 沈黙を破るきっかけになる 後ろの車のクラクション、電話の着信
人物が立てる音 黙っている人の状態が出る 版Cの、ハンドルを軽くたたく指

音は、その場所にしかない音を選ぶと場面が立ちます。「時計の音だけが響いていた」「静寂が二人を包んだ」は、どの部屋にも当てはまるので、沈黙の中身を伝えません。

どこにでもある静けさを、その場の音にする

修正前

「これで、出品していいですか」
先生は半紙を手にしたまま、何も言わなかった。教室は静まり返り、時計の音だけが響いていた。重い静寂が二人を包んだ。

修正後

「これで、出品していいですか」
先生は半紙を手にしたまま、何も言わなかった。教室は静まり返り、時計の音だけが響いていた。重い静寂が二人を包んだ。石油ストーブの上で、やかんのふたがかすかに鳴りはじめた。先生は半紙を窓の光にかざし、払いの先を見ていた。悠真は、ふたの音を三度聞いてから、新しい半紙を一枚取った。

変更の理由

  • 冬の書道教室にある音(やかんのふた)を選び、鳴りはじめて三度聞くまでの間で、沈黙の長さを伝えました。音がだんだん大きくなるので、待つ時間が延びていく感じも出ます。
  • 先生の沈黙の意味(「まだ出せない」なのか)は書いていません。悠真が新しい半紙を取る動作で、悠真がこの沈黙を「書き直せ」と受け取ったことだけが分かります。先生の本心は、次の場面で明かしても、明かさなくてもかまいません。
  • これは、ためらい・対立・親しさのどれでもない、教える側の沈黙です。三つの型に当てはめなくても、言わずにいる一言(「自分で気づきなさい」)が決まっていれば書けます。
  • 時計が物語の中で意味を持つ場合(たとえば亡くなった人の形見の時計)は、時計の音を選んでかまいません。避けたいのは、何の音でもよい場所に決まり文句として置くことです。

空間では、二人の位置が沈黙の見え方を左右します。

二人の位置 沈黙の見え方
向かい合う(机をはさむなど) 見る・見ないがはっきり出る。問い詰める場面や対立に向く
並ぶ(車の座席、ベンチなど) 顔を見ずにいられる。言いにくい話や、同じ物を見る親しい沈黙に向く
間に物がある(荷物、テーブル、ひじ掛け) 物を動かすことが、そのまま距離の変化になる
一人が立つ・離れる 沈黙を終わらせる行動になる

作例を車内にしたのは、並んで前を向く位置が、もともと相手の顔を見なくてすむ場所だからです。そのため、版Bで奈央が「体ごと運転席のほうを向く」と、それだけで普段とは違う強い動きになります。場所を選ぶときに、二人がどちらを向いて座っているかまで決めておくと、視線の動きに意味を持たせやすくなります。

無言の時間を長くしすぎない

小説の中の沈黙の長さは、物語の中で過ぎた時間と、読者が読むのにかかる時間の両方で伝わります。黙っている間に書くことを増やすほど読む時間は延びますが、増やしすぎると、読者は沈黙の意味を見失います。

書きこみすぎた沈黙を、三つの要素にしぼる

修正前

信号が赤に変わり、圭吾はウインカーを右に出した。
「来月から、札幌の支社に行くことになった」
奈央は何も答えなかった。膝の上の缶コーヒーを手のひらで転がした。窓の外を見た。歩道を自転車が通り過ぎた。札幌は寒いだろうと思った。自分の仕事のことも考えた。春に主任になったばかりだった。ウインカーの音がカチ、カチと鳴っていた。圭吾も黙っていた。奈央はまた缶を転がした。ダッシュボードの時計を見た。九時十二分だった。奈央は小さくため息をついた。圭吾もため息をついた。重い沈黙だった。
「……向こうって、もう雪、降ってるのかな」

修正後

信号が赤に変わり、圭吾はウインカーを右に出した。
「来月から、札幌の支社に行くことになった」
奈央は何も答えなかった。奈央は膝の上の缶コーヒーを、両手のひらで転がした。窓の外を見た。歩道を自転車が通り過ぎた。札幌は寒いだろうと思った。自分の仕事のことも考えた。春に主任になったばかりだった。ウインカーの音がカチ、カチと鳴っていた。圭吾も黙っていた。奈央はまた缶を転がした。ダッシュボードの時計を見た。が、九時十二分だった。奈央は小さくため息をついた。圭吾もため息をついた。重い沈黙だった。から十三分に変わった。奈央は口を開きかけて、また閉じた。
「……向こうって、もう雪、降ってるのかな」

変更の理由

  • 残したのは、沈黙の始まり(缶を転がす)、続いている時間(ウインカーと時計)、終わりの直前の変化(口を開きかけて閉じる)の三つです。どれも、黙ったあとに何かが変わっていく順に並んでいます。
  • 「窓の外」「自転車」は沈黙の意味と関係がなく、「札幌は寒い」「仕事のこと」は、奈央の言わずにいることを地の文で半分明かしています。この場面では言わずにおき、別の場面で理由を見せる方針にしました。理由を先に知らせたほうが読者がついてこられる作品なら、心の声を一文だけ残す方法もあります。
  • 「圭吾も黙っていた」「重い沈黙だった」は、すでに分かっていることの言い直しです。二人のため息は同じ動作を並べただけで、沈黙に変化を加えていません。
  • 時計が一分進む一文があれば、「長い沈黙だった」と書かなくても長さが伝わります。

沈黙の長さを伝える方法は、書き足す量のほかにもあります。

伝え方 例 向いている長さ
動作を一文だけはさむ 缶をドリンクホルダーに戻した 一呼吸ほどの短い間
回数を数える ふたの音を三度聞いてから 数秒から十数秒
時間の目印が変わる 時計が九時十二分から十三分に変わった 一分前後
状況が変わる 信号が青に変わり、後ろの車が短く鳴らした 沈黙が終わるきっかけまで
段落を変え、時間を飛ばす その夜、二人はそれ以上話さなかった 場面をまたぐ長い沈黙

「……」だけのセリフを交互に並べる書き方は、沈黙があることは伝わっても、長さと意味は伝わりません。三点リーダーを重ねるより、何をして黙っているかを一文書くほうが、間の長さがはっきりします。会話の途中の短い間の置き方は、小説の会話文の書き方で扱っています。

反対に、沈黙そのものが場面の山場で、読者を待たせたい場合は、長く書いてかまいません。そのときは要素を同じ種類で並べず、段階をつけます。たとえば、ラジオが切れる、ウインカーが止まる、エンジンを切る、と音が一つずつ消えていく順に書くと、長くても読者は変化を追えます。

「気まずかった」と書いてよい場合

沈黙を説明する書き方が、いつも悪いわけではありません。次のような場合は、気持ちの名前を書くほうが合うこともあります。

  • 一人称の語り手の口調が作品の魅力になっている:語り手が「気まずい」と自分で言うことが、その人物らしさになっている場合。
  • 沈黙を笑いにしたい:「三秒の沈黙だった。体感では三分あった」のように、語り手が沈黙を言葉にすること自体がおかしみになる場合。
  • 場面の重心が別にある:沈黙が話の中心ではなく、すばやく通りすぎたい場合。要約の一文で済ませたほうが、本当に描きたい場面に字数を回せます。
  • 読者に読み違えてほしくない:誤解されると筋が追えなくなる場面で、意味を一つに決めておきたい場合。

どの場合も、「気まずい」と名付けるなら、誰にとって、何が言えなくて気まずいのかが、前後のどこかで分かるようにしておくと、説明が空回りしません。

自作の沈黙の場面を点検する

手順無言の場面を見直す手順

  1. 原稿の中から「沈黙」「黙った」「気まずい」「静寂」「……」を探し、印を付けます。
  2. 印の付いた場面ごとに、沈黙メモの「言わずにいる一言」を書きます。書けない場面は、その沈黙が何のためにあるかから考え直します。
  3. 見る先、物への動作、周りの音から、それぞれ一つずつ選びます。全部を使う必要はありません。
  4. 相手の反応を一つ決めます(待つ、埋める、同じように黙る、読み違える、離れる)。
  5. 沈黙のあとの最初のセリフが、沈黙の意味の答え合わせになっているかを確かめます。
  6. 沈黙の間に書いたことを数え、四つ以上あれば、始まり・続き・終わりの直前の三つにしぼれるか試します。

確認表沈黙の場面の確認表

  • 黙る人が言わずにいる一言を、書き手が言葉にできる
  • 「気まずい」「重い沈黙」など、評価の言葉だけで済ませていない
  • 見る先・物への動作・音が、同じ一つの方向を向いている
  • 視点人物ではない人物の沈黙を、心の中まで言い切っていない
  • 音は、その場所にしかない音を選んでいる
  • 沈黙のあとの最初のセリフで、読者が沈黙の意味を確かめられる
  • 沈黙の長さが、時間の目印や回数で伝わる
  • 長い沈黙では、同じ種類の動作や音を並べず、段階が付いている

自分で点検しても、書いた本人は「言わずにいる一言」を知っているので、沈黙の意味が読者に届いているかは判断しにくいものです。原稿があり、具体的な疑問が残っている場合は、読み手に「この沈黙のとき、この人物は何を言いたかったと思うか」と尋ねると、メモと読者の受け取り方のずれが分かります。質問の作り方は小説の感想を依頼するには?で扱っています。講評を頼むなら、講評・添削の依頼メモに気になる場面と沈黙メモを書き出してから、小説の添削はどこに頼む?で依頼先を選ぶと、答えを原稿に戻しやすくなります。