小説で悲しみを描写するには?涙以外の動作と思考の表現例
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この記事の答え
悲しみは、喪失からどれだけ時間がたったかと、表に出す人か、普段どおりにふるまう人かで書き方を変えます。
- 直後は、手続きや雑事の中で止まる動作に置く。時間がたった後は、習慣や物の中で不在に気づく場面に置く
- 涙は使ってよいが、同じ人物に何度も流させない。泣かない場面を重ねたあと、小さなきっかけで一度だけ使うと効く
- 「悲しかった」と書くのは、時間をまとめて語る場面や、悲しみが話の中心でない場面に向く
目次
悲しい場面を書くと、人物が場面ごとに泣いてしまう。「涙がこぼれた」「涙があふれた」と言い換えても、読者が受け取るのは毎回「泣いた」という同じ情報です。この記事では、町の食堂のおかみが急に亡くなったという架空の喪失を、当日の夜、店を開け直した朝、常連客との会話という三つの場面で書き、涙以外の動作・物・途中で切れる言葉で悲しみを伝える方法を比べます。読み終えたら、自作の悲しい場面で、時間と人物に合う反応を選び、同じ泣き方の繰り返しを減らせます。
喪失からの時間で、悲しみを置く場所を変える
悲しみの書き方でまず決めたいのは、その場面が喪失からどれくらい後かです。直後と、何週間もたった後では、人物が向き合っているものが違います。
| 時間 | 人物が向き合っているもの | 場面に置きやすいもの | 場面の例 |
|---|---|---|---|
| 直後(当日〜数日) | 起きたことにまだ実感がない。やることに追われる | 連絡・手続き・食事などの雑事。その中で止まる動作、機械的に続く動作 | 病院から持ち帰った紙袋を下ろせない |
| 少し後(数週間) | 生活が戻りはじめ、不在に何度もぶつかる | 習慣、その人がしていた作業、呼びかけ | 品書きを書く手が一つの字で止まる |
| 時間がたった後(数か月〜年) | 覚えていることと、薄れていくことがある | 物の変化、他人の何気ない一言、季節の行事 | 母の字の癖を思い出せなくなっている |
悲しみの経過は人によって違い、決まった順番の段階を通るものとして書く必要はありません。この表は、場面にどんな材料を置くかを選ぶための目安です。
避けたいのは、直後の場面も、何週間もたった後の場面も、同じように「泣く」で書いてしまうことです。時間が違えば、悲しみが顔を出す場所も変わります。直後は大きな出来事の中ではなく、むしろ雑事の手が止まるところに、後日は日々の手順の中で「いつもと違う」ところに出ます。
当日の夜:止まる人と、普段どおりにする人
同じ喪失でも、人物によって悲しみの出方は違います。ここでは、食堂を夫婦で営んできた房江が、仕込みの最中に倒れ、その夜に亡くなったという設定で、夫の辰男と、市外で暮らす娘の朋美を書きます。
作例朋美(動きが止まる)
病院から戻ったのは、夜の十一時を過ぎてからだった。
朋美は店の二階の台所に入り、手に提げていた紙袋を下ろそうとして、やめた。中には、母が倒れたときに着ていた割烹着と、眼鏡と、小銭入れが入っている。どこに置いても、そこが母の物の置き場所になってしまう気がした。
朋美は紙袋を提げたまま、流しの前に立っていた。蛇口から、しずくが一つ落ちた。
作例辰男(普段どおりにする)
辰男は台所に入るなり、やかんに水を入れて火にかけた。
「飯は食ったのか」
「……食べてない」
「茶漬けでいいか」
返事を待たずに、辰男は冷蔵庫から鮭の切り身を出した。房江が今朝、仕込みのついでに焼いておいた分だった。辰男はそれを皿に移し、いつもの手順で電子レンジに入れて、ボタンを押した。
終わりを知らせる音が鳴っても、辰男はレンジの扉を開けなかった。
| 朋美(止まる) | 辰男(普段どおりにする) | |
|---|---|---|
| 動作 | 紙袋を下ろせず、立ったまま | 湯を沸かし、茶漬けを用意する |
| 物への反応 | 母の物の置き場所を決められない | 房江が焼いた鮭を、ためらわず使う |
| 言葉 | ほとんど話さない | 短い質問だけ。房江には触れない |
| 普段と違うところ | 全体が止まっている | 手順の最後で一か所だけ止まる(レンジを開けない) |
| 読者が受け取ること | 悲しみで時間が止まっている | 手を動かしつづけることで、悲しみを押しとどめている |
朋美の場面は、悲しみが分かりやすく表に出ています。注意したいのは辰男の方です。普段どおりにふるまう人物は、そのままだと悲しんでいない人、冷たい人に読まれることがあります。そこで、普段どおりの手順の中に一か所だけ手順が途切れる所を置きます。辰男なら、温め終わったレンジを開けないことです。それまでの手際がよいほど、その一か所が目立ちます。
鮭の切り身は、物と記憶をつなぐ役もしています。今朝まで房江が生きて台所に立っていたことを、回想を一行も入れずに伝えられます。
後日の悲しみは、習慣と物の中に置く
時間がたつと、人物は生活に戻っていきます。そこで悲しみは、泣く場面よりも、その人がいた頃の習慣や物の中で不意に見つかる形をとります。四十九日を終えて店を開け直し、三日目を迎えた朝の場面です。
作例後日:再開した朝の品書き
店を開け直して三日目の朝、辰男は黒板の前に立った。品書きを書くのは、ずっと房江の役目だった。
チョークで「本日の定食」と書き、その下に「さば味噌」と書いた。房江の字なら、「さば」はひらがなで丸く、「味噌」だけが妙に角ばっていた。辰男の字は、どれも同じ大きさで右に傾いた。
三行目に「肉じゃが」と書きかけて、辰男は「肉」の一字で手を止めた。肉じゃがは、房江が前の晩から仕込んでいた。
辰男は黒板消しで「肉」を消し、そこに「冷奴」と書いた。消した跡が、白くうっすら残った。
この場面には「悲しい」も涙もありません。悲しみは、房江の役目だった作業を辰男が引き継いだことと、彼女の料理だった一品を書けずに消したことに出ています。
物と記憶を使うときは、次の三つの使い方から選ぶと、形見の品を眺めるだけの場面になりにくくなります。
| 物の使い方 | 例 | 伝わること |
|---|---|---|
| その人がしていた作業の跡 | 黒板の品書き、仕込みの段取り | 不在が、毎日の手順の中で見つかる |
| 残りが減っていく物 | 房江が漬けた梅干しの瓶。あと何個かを数えてしまう | 時間がたつほど、その人の痕跡が減っていく |
| 使い方が分からない物 | 房江しか手入れを知らなかったぬか床 | 不在が「できないこと」として現れる |
記憶も、まとめて回想しないほうが場面が止まりません。黒板の作例では、房江について思い出しているのは字の癖だけです。物の一点から一つだけ思い出させると、残りは読者が補います。
誰かがいなくなったあとの部屋の静けさや、一人で過ごす時間そのものを描きたい場合は、悲しみより孤独の描き方が合うことがあります。空間と行動で伝える方法は小説で孤独・寂しさを描写するにはで扱っています。
会話は、言葉が途中で切れる位置を選ぶ
悲しみのある場面の会話では、言いたいことを最後まで言わない、言えないことが多くなります。そのとき大事なのは、どこで言葉が切れるかです。切れる位置によって、何がいちばん口にしにくいのかが変わります。
作例常連の村上との会話
十一時半にのれんを出すと、すぐに村上が入ってきた。三十年、週に三度はこのカウンターの端に座っている客だった。
村上は席に着くと黒板を見上げ、それから辰男の顔を見た。
「大将、このたびは——」
「さば味噌でいいか」
「……ああ。それで」
村上はもう一度黒板を見て、「冷奴も」と言った。
食べ終わると、村上は黙って自分の皿を重ね、カウンターの上に置いた。三十年で初めてのことだった。
この作例では、村上の悔やみの言葉を、辰男が注文を聞くことで遮っています。同じ場面でも、切れる位置を変えると伝わることが変わります。
| 切れる位置 | 台詞の例 | 伝わること |
|---|---|---|
| 決まり文句の途中で、相手に遮られる | 「大将、このたびは——」「さば味噌でいいか」 | 辰男は悔やみを受け取ることさえ、まだできない |
| 名前の手前で、自分で止まる | 「おかみさんの……いや、なんでもない」 | 村上にとって、その名前を口にすることがいちばん重い |
| 具体的な物の話で止まる | 「今日は肉じゃが——ああ、さば味噌か」 | 品書きの変化で不在に気づいた客が、自分から言葉を引っこめる |
言葉を最後まで言わせなかった分は、行動で受け止めます。村上が皿を重ねて置くのは、言えなかった悔やみの代わりです。会話が途切れたあとの間や、沈黙の長さで二人の関係を見せたいときは、小説の沈黙の描写が次に役立ちます。
涙は、泣かなかった場面のあとに一度だけ
涙を書いてはいけないわけではありません。問題になるのは、同じ人物が場面ごとに泣き、表現だけを言い換えている原稿です。朋美を中心に、三つの場面を通して書いた原稿を直します。
三場面すべてで泣いていた原稿を、涙一回にする
修正前
病院から戻ると、朋美の目からまた涙がこぼれた。父が茶漬けを作ってくれたが、朋美は涙が止まらず、ほとんど食べられなかった。
翌朝、母の割烹着を見て、朋美は泣いた。頬を涙が伝った。
店を開けた朝、黒板に母の字がないことに気づいて、朋美の目に涙があふれた。
修正後
病院から戻ると、朋美は紙袋を提げたまま流しの前に立っていた。父の作った茶漬けは、半分残した。
翌朝、紙袋はまだ床の上にあった。朋美は割烹着を出してたたみ直し、また袋に戻した。
店を開けた朝、黒板には父の字が並んでいた。「冷奴」の字の下に、消した跡が白く透けていた。何の字だったのか分かったとき、朋美は初めて泣いた。
変更の理由
- 修正前は三場面すべてで泣き、「こぼれた」「止まらず」「伝った」「あふれた」と言い換えています。言い換えても、読者が受け取る情報は毎回「泣いた」で、場面ごとの違いが出ません。
- 修正後は、最初の二場面の涙を、止まる動作(紙袋を提げたまま、茶漬けを半分残す)と物への反応(割烹着をたたみ直して戻す)に替えました。二つの場面で悲しみの形が変わり、時間がたっていることも伝わります。
- 涙は最後の一度にし、きっかけを大きな出来事ではなく、黒板の消した跡という小さな具体にしました。何をきっかけに泣くかで、朋美が母のどこを失ったと感じているかが出ます。
- 泣くことを隠さない人物なら、毎場面で泣く書き方も成り立ちます。その場合は涙の言い換えではなく、声を出すか出さないか、泣きながら何の手を動かしているか、で場面ごとの違いを出します。
涙が効きやすいのは、次のような条件がそろうときです。
- それまで泣かなかった人物が泣く(修正後の朋美)
- きっかけが小さく、その人物と死者の関係にしかないもの(消した「肉」の字)
- 泣いたあとに、人物が何かをする、またはしない(場面を涙で閉じない)
反対に、葬儀の場面で全員が泣く、悲しい音楽がかかって泣く、といった「泣くのが当然の場面」での涙は、読者にとって新しい情報になりにくくなります。
涙の別の言い方を類語辞典で探しても、読者が受け取るのが「泣いた」のままであることは変わりません。感情ごとに動作や体の反応をまとめた創作向けの資料(『感情類語辞典[増補改訂版]』など。出版社の目次では「悲しみ」「悲嘆」「落胆」が別の項目です)は、言い換えではなく反応の候補を探す道具ですが、載っている反応を写すだけでは同じことが起きます。資料の種類と使い方は小説に使う類語辞典のおすすめと選び方で比べています。
「悲しかった」と書く量を決める
感情の名前で書くことも、選択肢の一つです。当日の夜を、感情の名前で説明した案と比べてみます。
作例感情の名前で説明した案
朋美は深い悲しみに沈んでいた。父も悲しんでいるはずだったが、いつもと変わらない様子で茶漬けを作った。
| 読者が受け取る情報 | 説明した案 | 場面で書いた案 |
|---|---|---|
| 朋美の状態 | 悲しい | 母の物の置き場所を決められず、立ったまま動けない |
| 辰男の状態 | 「悲しんでいるはず」という推測 | 手順を守りつづけ、レンジの前で止まる |
| 房江がどんな人だったか | 分からない | 仕込みのついでに家族の鮭を焼いておく人 |
| 父と娘の関係 | 分からない | 父は娘に食べさせようとし、娘は答えるのがやっと |
説明した案は短く、場面で書いた案は長くなります。それでも、場面で書くと、悲しんでいる人だけでなく、失われた人と、残された人どうしの関係まで伝わります。
一方で、説明が合う場面もあります。
- 時間をまとめて語るとき。「葬儀からの半年、朋美は母のことをあまり思い出さなかった。思い出すのは、スーパーで鮭の切り身が安い日だけだった」のように、要約に具体を一つ添える形は、長い時間を短く運べます。
- 語り手が人物から距離を置く文体のとき。淡々と事実を述べる語りでは、感情の名前を一度置くほうが文体に合います。
- 悲しみが場面の中心ではないとき。脇の人物の悲しみまで場面で書くと、話の焦点がずれます。
一つの場面で、感情の名前は多くて一度にしておくと、言いすぎを防げます。名前を書いた場合も、そのすぐあとに、その人物にしかない具体を一つ続けます。
自作の悲しい場面を書き直す
練習同じ喪失を、二人の人物と二つの時間で書く(25分)
- 自作の中で、人物が何かを失う場面を一つ選びます(人の死に限らず、別れ、引っ越し、手放す物でもかまいません)。
- その喪失に関わる人物を二人決め、一人は「止まる人」、もう一人は「普段どおりにする人」にします。
- 直後の場面を、二人それぞれ三〜五文で書きます。「普段どおりにする人」には、手順が途切れる所を一か所入れます。
- 数週間後の場面を、失われた人(物)がしていた作業か、残りが減っていく物を使って書きます。
- 涙を使うなら、二つの場面のうち一度だけにし、きっかけを小さな具体にします。
確認表悲しみの場面の確認表
-
場面が喪失からどれくらい後かを決め、それに合う材料(雑事・習慣・物)を置いている
-
普段どおりにふるまう人物に、手順が途切れる所が一か所ある
-
物は、眺めるだけでなく、作業の跡・減っていく物・使い方の分からない物として使っている
-
回想は、物の一点から一つだけにしている
-
会話の言葉が切れる位置で、何が口にしにくいのかを選んでいる
-
同じ人物が、表現を言い換えて何度も泣いていない
-
感情の名前は、一つの場面で多くて一度にしている
涙を減らした結果、今度は悲しみが伝わらなくなったのではないか、と不安になることもあります。原稿があり、自分では判断がつかない場合は、読み手に「どの場面で、誰の悲しみがいちばん伝わったか」「泣かせすぎだと感じた所はあるか」を尋ねると、量の調整の手がかりになります。尋ね方は小説の感想を依頼するには?で扱っています。有料の講評を検討するときは、講評・添削の依頼メモに、どの場面を喪失の直後、どの場面を後日として書いたかを添えておくと、時間に合った反応になっているかを見てもらえます。依頼先の違いは小説の添削はどこに頼む?で比べています。