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エッセイ

エッセイが自分語り・説教に見えるときの直し方

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この記事の答え

自分の体験を書くこと自体は問題ではありません。自分語りや説教に見えるのは、読者が入れる場面がなく、結論だけが読者や他人に向いているときです。

  • 初稿の文を「場面」「当時の迷い」「今の解釈」「事情の列挙」「他人への教訓」に分け、場面と迷いが足りないところを探す
  • 「例の」「Sさん」など読者の知らない前提は、一言補うか削る。「本当の豊かさとは」のような主張は、それを感じた場面に戻す
  • 「〜べきだ」「今の人は」は、語尾を弱めても説教のまま。自分がしたこと・迷ったことの場面に置き換える
目次

自分の体験を書いたエッセイを人に読んでもらったら、「自分の話ばかり」「説教されている気がする」と言われた。けれど、エッセイは自分の体験を書くものなので、何を直せばよいのか分からない。この記事では、架空の書き手が「車を手放した一年」を書いた初稿を使い、読者が置いていかれる箇所と、他人を裁いているように読める箇所を見つけ、段階的に直していきます。作例の書き手と体験は架空です。

自分の体験を書くことと、読者を置いていく自分語りは違う

デジタル大辞泉は「エッセー」を「自由な形式で意見・感想などを述べた散文。随筆。随想。」と説明しています(コトバンク「エッセー」)。自分の体験と考えを、自分の目で書く。主観で書くのは、エッセイの前提です。同じ辞典には「特定の主題について述べる試論。小論文」という意味も載っていますが、この記事で扱うのは前者の、体験から書く文芸エッセイです。

問題になるのは、主観で書くことではなく、読者がその主観の中に入れないことです。同じ「自分の話」でも、次のように分かれます。

見るところ 読者が入れる書き方 読者が置いていかれる書き方
体験 一つの場面として見える 事情・経歴・数字が並んでいるだけ
前提 読者の知らない人や出来事を一言補う 「例の件」「Sさん」で済ませる
考え その場面から出てきた、自分の考え 「本当の〜とは」という一般論や格言
迷い 迷ったことや、矛盾していることも書く 結果が正しかったことだけを書く
他人 自分と違う事情を持つ人として書く 自分の基準で裁く

右の列が増えると、読者は「この人の話を聞かされている」と感じやすくなります。どう感じるかは読む人によって違いますが、右の列の書き方は、読者が自分で考える余地を少なくします。直す目的は、書き手の気持ちを薄めることではなく、読者が同じ場所に立てるようにすることです。強い気持ちは、強いまま残してかまいません。

作例:自分の事情と主張が並んだ初稿

以下は、この記事のために作った架空の初稿です。五十代の書き手が、車を手放して一年たったことを書いています。読者の立場で、引っかかるところに印を付けながら読んでみてください。

作例初稿「車のない暮らし」(架空・約400字)

車がないと生活できない、と言う人は多い。しかし、それは思い込みにすぎない。私は去年の春に車を手放したが、一年たった今、何ひとつ困っていない。

手放すと決めたのは、例の車検の見積もりがきっかけだった。Sさんにも相談したが、結局は自分で決めた。うちは駅まで歩いて十五分で、スーパーも近い。夫は電車通勤で、子どもは二人とも家を出ている。駐車場代は月一万二千円、保険と税金と車検を合わせると、年に四十万円近くかかっていた。それが全部なくなった。健康診断の数値もよくなった。

今の人は、便利さに慣れすぎている。少し歩けば済むところまで車で行き、運動不足を嘆いてジムに通う。本末転倒だ。本当の豊かさとは、お金や便利さではなく、時間の使い方なのだと思う。

車を持っている人を責めるつもりはない。けれど、一度立ち止まって、その車が本当に必要なのか考えてみるべきだ。私のように、手放してみて初めて分かることが、きっとあるはずだ。

文法の誤りはなく、言いたいこともはっきりしています。それでも、読み終えた読者に残るのは「車を手放したらよかった、あなたも考えなさい」という結論だけです。書き手がこの一年に何を見て、何に迷ったのかは、一つも見えません。

初稿の文を、場面・迷い・解釈・事情・教訓に分ける

最初に、初稿の文を五つに分けます。場面が足りないのか、教訓が多すぎるのかが、目で見えるようになります。

分類 初稿の文 数
具体的な場面 (なし) 0
当時の迷い Sさんにも相談したが、結局は自分で決めた(迷いがあったことだけ分かる) 1
今の解釈 何ひとつ困っていない/本当の豊かさとは〜時間の使い方なのだと思う 2
事情の列挙 駅まで十五分/スーパーも近い/夫は電車通勤/子どもは家を出た/駐車場代・保険・税金で年に四十万円近く/健康診断の数値 6
他人への教訓 車がないと生活できないは思い込み/今の人は便利さに慣れすぎ/本末転倒/考えてみるべきだ/きっとあるはずだ 5

場面が0、教訓が5。これが「説教に見える」原因の中心です。

事情の列挙が六つもあるのも特徴です。列挙された事情は、読者にとっては「この人の家の話」にとどまり、場面になりません。しかも、よく読むと、この事情そのものが書き手の結論を弱めています。駅まで十五分、子どもは独立している。手放せたのは、この書き手の条件がそろっていたからです。それを書いた同じ原稿で「車がないと生活できないのは思い込み」と言い切ると、読者は、地方に住む人や、子育てや通院で車が必要な人のことを思い浮かべ、書き手から離れてしまいます。

迷いの欄がほとんど空なのも見逃せません。初稿は「何ひとつ困っていない」と書いていますが、本当に迷いがなかったなら、「Sさんに相談」することもなかったはずです。迷いを隠すと、残るのは結論の正しさだけになります。

段落の中で場面と考えが混ざって分けにくいときは、エッセイの構成の作り方の段落カードの方法で、段落を一枚ずつに分けてから並べ直せます。

読者に足りない前提を補う

次に、書き手だけが知っている前提を探します。初稿では二か所です。

「例の」「Sさん」を、補うか削るかで直す

修正前

手放すと決めたのは、例の車検の見積もりがきっかけだった。Sさんにも相談したが、結局は自分で決めた。

修正後

きっかけは車検の見積もりだった。タイヤとブレーキの交換が重なって、十八万円を少し超えていた。

変更の理由

  • 「例の」は、書き手には説明のいらない言葉ですが、読者には何のことか分かりません。見積もりの金額と理由を一文で補いました。補うのは、手放す判断に関わる分だけです。
  • 「Sさん」は、この一篇に一度しか出てこず、何を相談したのかも書かれていません。補うと、Sさんとのやりとりが新しい話題になるので、人物ごと削りました。
  • 削らずに残すなら、「車に詳しい職場の先輩に相談した」のように、読者がその人の立場を思い浮かべられる一言を添えます。

自分だけに分かる説明は、「例の」「あの」「いつもの」「Sさん」のような言葉に出やすいので、検索して拾うと見落としが減ります。拾った言葉は、次の二つのどちらかにします。

  1. 一篇に必要なら、読者が分かる分だけ補う。人物なら立場(隣の家の人、職場の先輩)、出来事ならいつ・何が起きたか。
  2. 必要でなければ、言葉ごと削る。一度しか出てこない人物や、思わせぶりな出来事は、補うより削るほうがまとまります。

反対に、前提を補いすぎるのも自分語りの一つです。初稿の事情の列挙は、補いすぎの例でもあります。補う量は、その場面を読むのに必要な分までにします。

抽象的な主張を、体験の場面に戻す

初稿の「本当の豊かさとは、お金や便利さではなく、時間の使い方なのだと思う」は、どんな体験のあとにも書ける一文です。こうした抽象的な主張は、書き手が何かを見たり、したりしたあとに生まれていることがあります。その「何か」の場面に戻ると、主張は場面の中に溶け込みます。

戻る場面を探すには、主張の一文に次の問いを当てます。

問い 作例の書き手の答え
いつ、そう思ったか 手放して最初の雨の土曜日、スーパーから歩いて帰ったとき
そのとき、何を持っていたか、何をしていたか リュックに入らなかった卵のパックを、右手に持っていた
誰がいたか、何を言われたか 隣の家の人が車を止めて、「乗っていく?」と言った
そのあと、自分はどうしたか 少し迷ってから、乗せてもらった

答えを並べてみると、書き手が手に入れたのは「豊かさ」でも「時間」でもありませんでした。車を手放した最初の雨の日に、隣の人の車に乗せてもらった。初稿の結論とは食い違う、少し決まりの悪い場面です。けれど、この場面のほうが、書き手の一年を正直に見せています。

抽象的な主張を、それを考えた場面に置き換える

修正前

本当の豊かさとは、お金や便利さではなく、時間の使い方なのだと思う。

修正後

手放して最初の雨の土曜日、私はリュックを背負ってスーパーへ行った。牛乳と、玉ねぎと、じゃがいもと、トイレットペーパー。詰めていくと、最後に卵のパックが入らなかった。左手に傘、右手に卵を持って店を出た。

変更の理由

  • 「豊かさ」「時間の使い方」は、言葉の中身が書き手にしか見えません。リュックに詰めた物と、入らなかった卵という、読者が手で感じられる物に置き換えました。
  • 修正後は、主張を言っていません。車のない暮らしが便利なのか不便なのかの判断は、読者にゆだねています。
  • 主張の一文を残したい場合は、場面のあとに、その場面から出てきた言葉として置きます。場面がないまま主張だけを残すと、初稿と同じ形に戻ります。

場面を書くときは、覚えている事実だけを使います。印象を強めるために、言われていない言葉や見ていない物を足すと、エッセイでは事実の変更になります。

他人に教訓を向ける文を直す

説教に見える文は、文末や主語に表れます。

表現 読者に起きること 直す方向
今の人は/最近の若い人は 一人の体験から、集団をまとめて裁いている 自分の場面へ戻す
〜べきだ/〜してみてほしい 読者に行動を指示している 自分がしたことを書く
本末転倒だ/〜にすぎない 他人の選択を低く見ている 自分の選択の理由と迷いを書く
きっと〜はずだ 読者の体験を先に決めている 自分に起きたことだけを書く
責めるつもりはないが あとに続く非難の前置きになっている 前置きごと削る

このとき、いちばん手軽に見える直し方は、語尾を弱めることです。けれど、それだけでは説教は消えません。

作例案1:断定を弱めただけの案

今の人は、便利さに慣れすぎているのかもしれない。少し歩けば済むところまで車で行き、運動不足を嘆いてジムに通うのは、本末転倒と言えなくもないのではないだろうか。もちろん、車を持っている人を責めるつもりはない。ただ、一度考えてみるのもいいのではないかと思う。

作例案2:体験を見せる案

角を曲がったところで、後ろから来た車が速度を落とした。隣の家の奥さんだった。窓が下りて、「乗っていく?」と言われた。家まではあと五分だった。私は少し迷ってから、助手席に乗せてもらった。卵は膝の上に載せた。

案1は、文末に「かもしれない」「ではないだろうか」を足しましたが、話の向きは初稿と同じく「今の人」と「車を持っている人」に向いています。遠回しになった分、読者には、言いたいことを言いにくそうに言っている印象が加わります。

案2は、他人について何も言っていません。書き手が自分の結論と食い違う行動をとった場面を、そのまま見せています。車を持つ隣人は、裁かれる人ではなく、雨の日に助けてくれる人として出てきます。読者は「車がないと暮らせないか」という問いを、書き手と同じ場所で考えられます。

意見を述べること自体が悪いわけではありません。考えを主張するエッセイもあります。その場合も、主張の根拠を自分の体験に置き、自分と事情の違う人がいることを踏まえて書くと、読者は話を聞く位置に立てます。

結びを、他人への呼びかけから自分の解釈に変える

初稿の結びは、「考えてみるべきだ」「きっとあるはずだ」と読者に向いていました。結びでは、場面を見せたあとの今の自分の解釈を書きます。

読者への呼びかけで終える結びから、自分の解釈と小さな行動で終える結びへ

修正前

車を持っている人を責めるつもりはない。けれど、一度立ち止まって、その車が本当に必要なのか考えてみるべきだ。私のように、手放してみて初めて分かることが、きっとあるはずだ。

修正後

車がないと暮らせないというのは思い込みだ、と、私はこの一年、何度か人に言いかけた。そのたびに、膝の上の卵のパックを思い出す。私がやめたのは、車に乗ることではなく、車を持つことだけだった。雨の日には、今も誰かの車に助けられている。

先週、実家から届いた甘夏を、隣の奥さんに持っていった。去年の雨の日の礼を、まだちゃんと言っていなかったからだ。

変更の理由

  • 初稿の冒頭の主張(思い込みにすぎない)を、結びで「言いかけた」言葉として受け直しています。主張を捨てたのではなく、言いかけて止まる自分を書いています。
  • 「車を持つことをやめただけ」は、書き手の今の解釈です。「人は〜」ではなく「私が〜」で言い切っているので、読者への指示になりません。
  • 最後は、隣の人へ甘夏を持っていく小さな行動で閉じました。結びの選び方はエッセイの終わり方で、同じ本文に付けた四つの結びを比べています。

段階的に直した改稿版

前提の補足、場面への書き換え、迷いの追加、結びの変更を終えた改稿版です。

作例改稿版「車のない暮らし」(架空・約650字)

車を手放すと決めた夜、私は駐車場の車の中に十五分ほど座っていた。エンジンはかけなかった。九年乗った軽自動車で、助手席の足もとには、子どもたちが小さかったころにこぼしたジュースの染みが、まだ薄く残っていた。

きっかけは車検の見積もりだった。タイヤとブレーキの交換が重なって、十八万円を少し超えていた。駐車場代は月に一万二千円かかる。夫は電車で通勤しているし、二人の子どもはもう家を出た。駅までは歩いて十五分で、スーパーはその途中にある。紙に書き出すと、車を残す理由は一つも残らなかった。それでも車の中に座っていたのは、理由が一つも残らないことのほうが、寂しかったからだと思う。

手放して最初の雨の土曜日、私はリュックを背負ってスーパーへ行った。牛乳と、玉ねぎと、じゃがいもと、トイレットペーパー。詰めていくと、最後に卵のパックが入らなかった。左手に傘、右手に卵を持って店を出た。

角を曲がったところで、後ろから来た車が速度を落とした。隣の家の奥さんだった。窓が下りて、「乗っていく?」と言われた。家まではあと五分だった。私は少し迷ってから、助手席に乗せてもらった。卵は膝の上に載せた。

車がないと暮らせないというのは思い込みだ、と、私はこの一年、何度か人に言いかけた。そのたびに、膝の上の卵のパックを思い出す。私がやめたのは、車に乗ることではなく、車を持つことだけだった。雨の日には、今も誰かの車に助けられている。

先週、実家から届いた甘夏を、隣の奥さんに持っていった。去年の雨の日の礼を、まだちゃんと言っていなかったからだ。

初稿と比べて、何を変えたかをまとめます。

初稿 改稿版 変えた理由
「思い込みにすぎない」という主張から始まる 手放すと決めた夜、車の中に座っている場面から始まる 結論ではなく、迷いのある場面から読者を入れるため
例の車検の見積もり、Sさん 見積もりの金額と理由を一文で補った。Sさんは削った 読者の知らない前提を、必要な分だけ補うため
事情を六つ列挙 同じ事情を「紙に書き出した」場面の中に置いた 列挙を、書き手が判断している場面に変えるため
何ひとつ困っていない 雨の日に卵が入らず、隣の人の車に乗せてもらう 結論の正しさより、実際に起きたことを見せるため
今の人は/本末転倒/豊かさとは 削除 他人を裁く文と抽象的な主張を、場面に置き換えた
考えてみるべきだ/きっとあるはずだ 車を持つことをやめただけ、という自分の解釈と、甘夏を持っていく行動 読者への指示を、自分の解釈に変えるため

初稿にあった事情(駅まで十五分、駐車場代一万二千円、夫の通勤、子どもの独立)は、改稿版にもほとんど残っています。消したのは事情ではなく、事情を並べて結論の正しさを証明しようとする書き方です。同じ事情も、書き手が車の中で迷っている場面に置くと、読者はそれを証拠ではなく、迷いの材料として読みます。年間の維持費の合計や健康診断の数値のように、場面のどこにも置けなかった事情だけを削りました。

自分の原稿で点検する

確認表自分語り・説教に見える箇所の確認表

  • 初稿の文を、場面・当時の迷い・今の解釈・事情の列挙・他人への教訓に分けた。場面が一つ以上ある
  • 「例の」「あの」「いつもの」や、立場の分からない人名を、補うか削るかした
  • 事情・経歴・数字を並べて、結論の正しさを証明しようとしていない
  • 「本当の〜とは」「〜こそ大切だ」のような一文を、それを考えた場面に戻した
  • 「今の人は」「〜べきだ」「きっと〜はずだ」「責めるつもりはないが」が残っていない
  • 語尾を弱めただけで、話の向きが他人に向いたままになっていない
  • 迷ったこと、結論と食い違うことも、隠さずに書いた
  • 結びが読者への呼びかけではなく、自分の解釈か行動で終わっている
  • 書き手の気持ちを薄めるために、言いたいことまで削っていない

この記事で直したのは、自分語りと説教に見える箇所だけです。題材の選び直しから文の言い回しまで、一篇全体を順に見直すときは、エッセイの推敲のやり方の五段階を使ってください。

確認表を使って直しても、読者にどう届いているかの判断がつかない場合は、外部の読み手に聞く方法もあります。そのときは「説教に見えるか」と漠然と聞くより、「どの文で読者として置いていかれたか」と箇所を聞くほうが、答えを直しに使えます。聞きたい点は講評・添削の依頼メモで整理でき、依頼先の種類と選び方はエッセイの添削はどこに頼む?で比べています。