小説の匂いの描写|具体物と記憶をつなぐ言葉の選び方
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この記事の答え
匂いは「いい」「嫌な」と評価する前に、何から出ているか、どのくらい離れて感じるか、その人物が何を思い出すかを選んで書きます。
- 出所の物と場所を一つ決める。「雨上がりの匂い」より「濡れた校庭の土の匂い」
- 良い悪いの評価は人物によって変わる。評価は言葉より、人物の動作で見せる
- 記憶につなぐときは、思い出す像を一つに絞り、現在の行動へ戻る。連想の意味まで説明しない
目次
匂いを書こうとすると、「いい匂いがした」「なつかしい香り」で止まってしまう。思い出の場面につなげようとすると、今度は記憶の説明が長くなる。この記事では、雨上がりの校庭、帰り道に漂ってくる夕飯、単身赴任中の父の部屋という三つの架空の場面で、匂いの出所・強さ・距離・記憶を選び分けます。最後に、説明しすぎた連想を、読者に伝わる手掛かりへ直します。読み終えたら、自作の場面で、何の匂いをどこで感じさせ、何を思い出させるかを決められます。
匂いは「何から、どこで」を先に決める
匂いの描写がぼやけるとき、まず確かめたいのは出所が書かれているかどうかです。「雨上がりの匂い」「古い家の匂い」と書くと、読者はそれぞれ自分の知っている匂いを思い浮かべますが、それが場面に合っているかは分かりません。
| ぼんやりした言い方 | 出所を具体化する問い | 具体化した例 |
|---|---|---|
| 雨上がりの匂い | 何が濡れているか | 校庭の土、日に焼けたあとのアスファルト、刈ったばかりの草 |
| 古い家の匂い | どの部屋の、どの物か | 閉め切った押し入れの布団、仏壇の線香、日に焼けた畳 |
| 食べ物の匂い | 何を、どう調理しているか | 魚を焼く煙、揚げ物の油、鍋の底の焦げ |
| 人の匂い | どこから、何が | すれ違った人の襟元、借りた上着の洗剤 |
出所を決めると、場所と時間も一緒に伝わります。
雨上がりの匂いを、出所の具体物に置き換える
匂いを一言でまとめた
雨上がりの、いい匂いがした。
何が濡れているかを書いた
夕立がやむと、校庭のほうから湿った土の匂いが上がってきた。昇降口のコンクリートは、まだ黒く濡れている。
千尋は傘を開かずに外へ出た。
変更の理由
- 「雨上がりの匂い」は、読者によって土を思い浮かべる人も、アスファルトや草を思い浮かべる人もいます。修正後は、校庭の土と決めることで、学校にいること、雨が短く強かったこと(夕立)まで伝わります。
- 「いい」という評価は書かず、傘を開かずに外へ出る動作で、千尋がその空気を嫌がっていないことを見せています。
- 雨の強さや雨音、濡れ方と組み合わせて書きたい場合は、小説の雨の描写で選び方を扱っています。
匂いは、ほかの感覚と一緒に使うことが多い感覚です。場面全体で、どの感覚を前に出し、どれを省くかの判断は、小説の情景描写の書き方で扱っています。
「いい匂い」「嫌な臭い」の先を書く
評価は、人物によって変わる
同じ匂いでも、好ましく感じるか不快に感じるかは人物によって違います。
| 匂いの出所 | 好ましく感じる人物の例 | 不快に感じる人物の例 |
|---|---|---|
| 灯油ストーブ | 冬休みに帰った実家を思い出す人 | 灯油をこぼして、部屋に残った経験のある人 |
| 煙草 | 父の車の助手席を思い出す娘 | 煙を避けて席を移る客 |
| 魚を焼く煙 | 夕飯を待っている子ども | 洗濯物を干したばかりの隣の家の人 |
「いい匂い」「嫌な臭い」と書くと、その評価は視点人物のものとして読まれます。だから評価の言葉を使うなら、その人物がなぜそう感じるのかが、場面のどこかで分かるようにします。評価の言葉を使わずに、人物の動作で評価を見せることもできます。
評価の言葉を、人物の動作に置き換える
評価だけを書いた
父の部屋は、なんだか嫌なにおいがした。
出所と、人物の反応を書いた
ドアが開いたとたん、灯油のにおいが顔に当たった。玄関の脇に、赤いポリタンクが置いてある。陽菜は息を浅くして、靴を脱いだ。
変更の理由
- 修正前は、何のにおいか、どのくらい嫌なのかが分かりません。
- 修正後は、出所(ポリタンク)と強さ(顔に当たる)を書き、陽菜の嫌がり方を「息を浅くする」という小さな動作で見せています。顔をしかめる、鼻を覆うほどではない、という程度まで伝わります。
- 人物が自分の感じ方を率直に言う一人称の語りでは、「灯油のにおいが苦手だ」と書いてもかまいません。その場合も、出所の具体物が一つあると、言葉が浮きません。
「匂い」「臭い」「におい」の書き分け
漢字の選び方も、評価を伝えます。文化審議会国語分科会の「異字同訓」の漢字の使い分け例では、「匂い・匂う」は「主に良いにおい」、「臭い・臭う」は「主に不快なにおいや好ましくないにおい」と整理されています。
小説では、この使い分けが視点人物の評価として読まれます。修正後の例で、灯油を「臭い」でも「匂い」でもなく、ひらがなの「におい」にしたのは、陽菜にとって好ましくはないが、強く不快というほどでもないからです。同じ煙草を書くのでも、懐かしく思い出す娘の視点なら「匂い」、煙を避けたい人物の視点なら「臭い」が合います。どちらとも決めたくないときは、ひらがなで書く選択があります。
強さと距離:匂いは、見るより先に届く
匂いは、出所が見えないうちに届くことがあります。どこで気づき、近づくにつれてどう変わるかを書くと、空間の広がりと、人物が出所へ向かう時間が伝わります。
作例作例 帰り道の夕飯(湊)
団地の階段を上がっていくと、三階の踊り場でカレーの匂いがした。どこかの家の夕飯だろう、と湊は思った。母が平日の夕方に家にいることはない。
四階に着くと、匂いは急に濃くなった。廊下のいちばん奥、自分の家の換気扇の口から、白い湯気が出ている。
玄関のドアを開けると、カレーの匂いの下に、焦げたにおいが混じっていた。
台所で、母が鍋の底を木べらでこすっていた。会社の服のままだった。
「早かったの?」
「うん。ちょっと、ね」
母は鍋から目を上げなかった。
| 地点 | 匂いの強さ | 湊に分かったこと |
|---|---|---|
| 三階の踊り場 | 薄い。出所が分からない | どこかの家の夕飯(自分の家だとは思わない) |
| 四階の廊下 | 急に濃くなる | 出所は自分の家の換気扇 |
| 玄関 | もう一つの匂いが混じる | 焦げている。いつもと何かが違う |
| 台所 | 出所の前に立つ | 母が鍋の底をこすっている。会社の服のまま |
匂いが段階的に変わるにつれて、湊の推測も「よその家」から「うちだ」「何かあった」へ変わっていきます。母がなぜ早く帰ってきたのか、なぜ鍋を焦がしたのかは書いていませんが、焦げたにおいと、目を上げない母から、読者は何かあったのだと受け取ります。
匂いの強さは、次のような手掛かりで書けます。
- どこで気づいたか:踊り場、廊下の角、ドアを開けたとたん
- 体がどう受け取ったか:顔に当たる、喉の奥に残る、息を吸ってようやく分かる
- 何に移っているか:服、髪、カーテン、手のひら
- どのくらい残るか:窓を開けても消えない、外に出るとすぐに分からなくなる
作例:父の部屋の匂いを、混ざり方と記憶で書く
ここからは、一つの部屋の中にある複数の匂いと、それが呼び起こす記憶を扱います。大学二年の陽菜が、単身赴任中の父のアパートを初めて訪ねる場面です。父は、陽菜が中学に上がった年に煙草をやめています。
作例作例 父の部屋(陽菜)
ドアが開いたとたん、灯油のにおいが顔に当たった。玄関の脇に、赤いポリタンクが置いてある。陽菜は息を浅くして、靴を脱いだ。
「散らかってるけど、上がって。飲み物、買ってくるから」
父はそう言って、陽菜と入れちがいに外へ出ていった。
六畳の部屋は、思ったより片づいていた。窓には、袋から出したばかりらしいカーテンが掛かっている。折り目がまだ四角く残っていて、近づくと、新しい布の糊の匂いがした。
カーテンを少し開けようとして、陽菜は手を止めた。布の奥に、ほんのかすかに、別の匂いが混じっていた。
煙草だった。
小学生のころ、父の車の助手席はいつもこの匂いがした。窓を細く開けて走る車の中で、陽菜は父の上着に顔を押しつけて眠った。
陽菜はカーテンを開けた。ベランダの手すりの下に、空き缶が一つ置いてあった。飲み口の縁が、黒くすすけている。
玄関の鍵が回る音がした。陽菜はカーテンを元どおりに引いた。
何を、どの順で書いたか
| 書いた要素 | 作例での書き方 | 役割 |
|---|---|---|
| 出所 | ポリタンク、新しいカーテン、ベランダの空き缶 | 匂いがどこにあるかを、物で示す |
| 強さと距離 | 玄関で顔に当たる → 近づくと → 布の奥にかすかに | 部屋に入り、奥へ進む動きと重なる |
| 混ざり方 | 灯油がいちばん上、その下に糊、さらに奥に煙草 | 強い匂いの下に隠れていたものを見つける |
| 記憶 | 父の車の助手席、上着に顔を押しつけて眠ったこと | 煙草が陽菜にとって何の匂いかを示す |
| 現在の行動 | カーテンを開けて空き缶を見る → 父が戻ると元に引く | 気づいたことを、父に言わないと決める |
いちばん強い灯油の匂いは場面の入口でだけ使い、話の中心になる煙草は、最後に、いちばん弱い匂いとして出しています。強い匂いほど大事なわけではありません。かすかな匂いほど、人物が注意して嗅ぎ分けたことになり、読者の注意も集まります。
匂いから記憶へ:手掛かりを渡し、連想を説明しすぎない
匂いが記憶を呼び起こす場面は、書き手の力が入りやすい所です。そのぶん、記憶の中身と、その意味まで全部書いてしまいがちです。
説明しすぎた連想を、一つの像と現在の行動に直す
連想の中身と意味まで説明した
煙草の匂いだった。その瞬間、陽菜の頭に、子どものころの記憶が一気によみがえった。父の車の助手席はいつも煙草の匂いがしていたこと、母がそれを嫌がっていたこと、そして父が、娘のためにと煙草をやめると約束してくれた日のこと。あの約束は嘘だったのだ。父は一人になって、また吸いはじめていたのだ。陽菜は裏切られたような、それでいて父が少しかわいそうなような、複雑な気持ちになった。匂いというものは、こんなにも鮮やかに記憶を呼び起こすのだと、陽菜は思った。
像を一つにして、行動へ戻した
煙草だった。
小学生のころ、父の車の助手席はいつもこの匂いがした。窓を細く開けて走る車の中で、陽菜は父の上着に顔を押しつけて眠った。
陽菜はカーテンを開けた。ベランダの手すりの下に、空き缶が一つ置いてあった。飲み口の縁が、黒くすすけている。
玄関の鍵が回る音がした。陽菜はカーテンを元どおりに引いた。
変更の理由
- 修正前は、記憶が三つ(助手席、母、約束の日)並び、さらに「約束は嘘だった」という推論、「複雑な気持ち」という感情の名前、「匂いは記憶を呼び起こす」という一般論まで書いています。読者が自分で気づける部分を、すべて先回りしています。
- 修正後は、記憶を一つの像(助手席で上着に顔を押しつけて眠った)に絞りました。父が煙草をやめたことは、場面の前に一度だけ示しておけば、読者は「また吸っている」と自分で気づけます。
- 気持ちは、カーテンを元どおりに引く動作に任せています。父に知られたくない、問いただすつもりもない、という陽菜の選択が、一つの動作で伝わります。
- 記憶そのものが話の中心になる場合(その記憶へ場面ごと移る回想)は、もっと長く書いてかまいません。そのときは、匂いの場面から回想へ入る一文と、回想から現在へ戻る一文をはっきりさせます。
匂いから記憶へつなぐときの目安は、次の三つです。
- 思い出す像は一つに絞る。場所、物、そのとき体がしていたこと(眠った、握っていた)のうち、一つを具体的に。
- 記憶の意味は書かない。「あれは〜だったのだ」と人物が解釈する文は、読者が気づく前に答えを渡してしまいます。
- 現在の行動に戻る。記憶のあと、人物がいまの場面で何をするかを書くと、記憶が現在の選択に効いていることが伝わります。
複数の匂いを整理する
部屋や店の中には、いくつもの匂いが同時にあります。全部を並べると、読者はどれが大事か判断できません。作例の父の部屋で、書ける匂いを書き出し、扱いを決めると次のようになります。
| 部屋にある匂い | 強さ | 扱い | 理由 |
|---|---|---|---|
| 灯油 | 強い | 入口で一度だけ書く | 部屋に入った瞬間の印象。以後は繰り返さない |
| 新しいカーテンの糊 | 弱い | 書く | 父が最近カーテンを替えたことを示し、煙草を見つけるきっかけになる |
| インスタント味噌汁 | 弱い | 書かない | 一人暮らしの食事を示せるが、この場面の目的には関わらない |
| 煙草 | かすか | 最後に書く | 場面の中心。いちばん弱い匂いとして注意を集める |
複数の匂いを整理するときは、次の順で考えます。
- 入口で一つ:場所に入ったときにいちばん強い匂い。場所の印象を作る
- 場面の中心に一つ:人物が気づき、話を動かす匂い。弱くてもかまわない
- それ以外は、役割があるものだけ:人物の行動や次の発見につながらない匂いは削る候補
匂いには、人物が慣れていく
同じ匂いを嗅ぎ続けていると、だんだん感じなくなります。日本大百科全書は「ニオイを続けてかぐと時間の経過とともに急速に感じなくなるという順応の現象はよく知られている」と説明しています。
これは描写の選び方にそのまま使えます。
- 部屋の匂いに気づくのは、外から来た人。作例でも、灯油に気づいたのは訪ねてきた陽菜で、毎日そこで暮らしている父は何も言いません。その場所の住人の視点で書くなら、匂いは書かないほうが自然なこともあります。
- 同じ匂いを、段落ごとに繰り返さない。人物が慣れたあとも灯油のにおいを書き続けると、人物の感じ方と食い違います。もう一度書くのは、匂いが変わったとき(窓を開けた、ストーブを消した)か、人物が別の場所から戻ってきたときです。
- 慣れていたはずの匂いに、改めて気づかせる。長く留守にしたあとの自分の部屋、久しぶりに帰った実家。慣れが途切れたことを、匂いで示せます。
自作の場面で匂いを選ぶ手順
手順匂いの描写を書き直す手順
- 場面の視点人物と、その人がいまどこから来て、どこにいるかを確かめます。外から来た人か、その場所の住人かで、気づく匂いが変わります。
- その場所にある匂いを、出所の物と一緒に書き出します(「灯油」ではなく「玄関の脇のポリタンク」)。
- 入口で気づく一番強い匂いと、場面の中心になる匂いを一つずつ選びます。残りは、人物の行動につながるものだけ残します。
- どこで気づき、近づくとどう変わるか(強さと距離)を決めます。
- 「いい」「嫌な」という評価の言葉を、人物の動作に置き換えるか、漢字(匂い・臭い・におい)の選び方で示します。
- 記憶につなぐ場合は、思い出す像を一つに絞り、その意味は書かずに、現在の行動へ戻ります。
- 同じ匂いを何度も書いていないか、人物が慣れたあとも書き続けていないかを確かめます。
練習自分の部屋の匂いを、外から帰った直後に書く(15分)
- 外出から帰って、玄関を開けた直後に気づいた匂いを、出所の物と一緒にメモします。部屋に慣れてしまう前に書くのがこつです。
- 部屋の奥へ進みながら、匂いが変わった所を二つ書き足します。
- メモの中から一つ選び、それで思い出すことを一つの像として一文で書きます。
- 自分を登場人物に置き換え、「入口の匂い」「かすかな匂い」「思い出す像」「そのあとの行動」の四つで、200字の場面にします。
確認表匂いの描写の確認表
-
匂いの出所が、具体的な物と場所で書かれている
-
視点人物が、その匂いに気づける立場にいる(その場所の住人なら、慣れて気づかないこともある)
-
強さと距離(どこで気づき、近づくとどう変わるか)が分かる
-
「いい」「嫌な」の評価が、人物の動作か言葉の選び方で裏づけられている
-
「匂い」「臭い」「におい」の表記が、視点人物の受け止め方と合っている
-
複数の匂いを並べすぎず、入口の匂いと中心の匂いが区別できる
-
記憶は一つの像に絞られ、連想の意味まで説明していない
-
記憶のあと、人物の現在の行動に戻っている
-
同じ匂いを、変化のないまま繰り返していない
匂いの描写は、書き手自身の記憶が強いほど、読者にも同じように伝わっていると思いこみやすいものです。原稿があって疑問が残っている場合は、読んだ人に「何の匂いを思い浮かべたか」「その匂いで人物が何を思ったと感じたか」を尋ねてみると、手掛かりが足りないのか、説明しすぎているのかが分かります。質問の作り方は小説の感想を依頼するには?で扱っています。講評や添削を頼む場合は、講評・添削の依頼メモに、匂いと記憶の場面のどこを見てほしいかを書き出しておくと、依頼先に伝えやすくなります。依頼先ごとの違いは小説の添削はどこに頼む?で比べています。