面白いエッセイの書き方|日常のずれをユーモアに変える
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この記事の答え
エッセイの面白さは、珍しい出来事より「〜のはず」と思っていたことと実際とのずれから生まれます。
- おかしさを言葉で強調するより、見当違いに真剣だった自分の手や声などの細部を一つ選んで見せる
- 期待を先に、実際をあとに書く。自分を責めすぎず言い訳もせず、少し離れたところから自分を見る
- 笑いの的は、自分の思い込みに置く。相手の外見・年齢・話し方などを笑いの理由にしない
目次
笑える体験を書いたはずなのに、読み返すとちっとも面白くない。あるいは、面白くしようとして、気づけば誰かをからかう文章になっていた。そんなときは、出来事の大きさや言葉の勢いより、どこに「ずれ」があったのかを見直すと書き方が変わります。この記事では、架空の小さな勘違い「新しいフードコートで、手動の蛇口を自動だと思って手をかざし続けた」を三つの版で書き比べ、他人を笑う版との違いまで示します。作例の出来事と書き手は架空です。
なお、エッセイは笑わせなければいけないものではありません。ここで扱うのは、自分の体験にあったおかしさを、無理なく読者に渡す書き方です。会話での受け答えのこつや、話芸の技術は扱いません。
面白さは、出来事の珍しさより「ずれ」から生まれる
日常の小さな失敗がエッセイで面白く読めるのは、出来事が珍しいからではありません。書き手が思っていたことと実際、書き手が見ていたものと周りから見えていたもの。そのずれが、場面の中で読者に見えたときです。
精選版日本国語大辞典は「ユーモア」を、「人を傷つけない上品なおかしみやしゃれ」と説明しています(コトバンク「ユーモア」)。同じページの日本大百科全書の項目でも、ユーモアは風刺の攻撃性とは対照的なものとして説明されています。誰かを攻撃して取る笑いと、書き手自身のずれから生まれるおかしさは、別のものと考えておきます。
この記事では、ずれを次の三つに分けて見ていきます。
| ずれの種類 | 作例でいうと | 書くときの形 |
|---|---|---|
| 予想と実際 | 新しい店だから蛇口も自動のはず → レバー式だった | 予想を先に、実際をあとに見せる |
| 視点のずれ | 自分は水の出し方を探している → 周りからは、蛇口に手を振る大人に見える | 相手の視線や反応を一つだけ書く |
| 語り手の自覚 | 指の本数で反応が変わると思ったのだろうか | 今の自分が、当時の自分に一言だけ突っ込む |
一篇に三つすべてが要るわけではありません。どれか一つがはっきり見えれば、場面は十分におかしくなります。
作例:同じ勘違いを、三つの版で書き比べる
まず、架空の書き手の体験メモです。
作例作例:体験メモ(架空の書き手)
改装したばかりのショッピングセンター。フードコートの手洗い場。蛇口が新しい。細い銀色の管。
自動だと思って手を出す。出ない。手を奥へ。振る。隣の蛇口へ。気づいたら指を広げていた。
小学生くらいの男の子が来て、蛇口の後ろのレバーを上げた。
「これ、ここだよ」→「知ってる」と即答してしまった。男の子は私の手を見ていた。
最近、店の入口もトイレも、手を出せば何かが動く。物の前で待ってばかりいる。
このメモから、三つの版を書きます。
作例版1:誇張しすぎた版
改装したばかりのフードコートで、私は人生最大の恥をかいた。自動だと思い込んだ蛇口の前で、十分以上も両手を振り回して踊り狂っていたのだ。周りの客は全員こちらを見て大爆笑。小学生にまで鼻で笑われる始末で、穴があったら入りたいとはまさにこのことだった。
作例版2:説明だけの版
フードコートの手洗い場で、自動水栓だと思って手をかざしたが、水が出なかった。実は手動のレバー式だった。隣にいた子どもに教えられて、とても恥ずかしかった。思い込みとは怖いものだと思った。
作例版3:細部を生かした版(約390字)
改装したばかりのフードコートは、手洗い場の蛇口まで新しかった。細い銀色の管が弓のように曲がって、洗面台の上に突き出している。私はその下に両手を差し出した。
水は出なかった。
手を少し奥へ入れる。出ない。手のひらを下に向けて、ゆっくり左右に振る。出ない。センサーの小窓を探して、蛇口の根元をのぞき込む。隣の蛇口に移り、同じことを初めからやり直した。気がつくと、私は両手の指をいっぱいに広げていた。指の本数で反応が変わるとでも思ったのだろうか。
小学二年生くらいの男の子が、隣の洗面台に来た。男の子は蛇口の後ろに手を伸ばし、細いレバーをひょいと上げた。水が出た。
「これ、ここだよ」
「知ってる」
自分の声が、思っていたより早かった。男の子は私の顔を見て、それから、まだ宙に浮いたままの私の両手を見た。
私は手を下ろし、男の子と同じように蛇口の後ろへ手を伸ばした。レバーは、親指一本で上がった。
三つの版を並べると、違いは次のようになります。
| 版 | 読者が受け取るもの | 起きていること |
|---|---|---|
| 1 誇張 | 「人生最大」「大爆笑」という言葉の大きさ | 十分以上、全員、大爆笑は、実際にはなかったことか、書き手には確かめようがないこと。言葉が大きいほど、蛇口一つという出来事の小ささとの差で、読者は引いてしまう |
| 2 説明 | 何が起きたかの要約と、書き手の感想 | 状況は正確に伝わるが、見える場面がない。「恥ずかしかった」「怖いものだ」で、書き手がおかしさを閉じてしまう |
| 3 細部 | 広げた指、即答した「知ってる」、宙に浮いた両手 | 書き手は一度も「おかしい」と言っていない。読者が自分で、場面の中のずれに気づく |
版3は、版1より出来事を小さく、版2より長く書いています。面白さを増やしたのは言葉の勢いではなく、読者が見られる細部の量です。以下、版3で使った工夫を一つずつ見ていきます。
意外な細部を選ぶ
おかしさを生む細部は、書き手が見当違いの方向に、真剣に努力している様子を見せるものです。「何度も」「必死に」と書いても、どんな努力だったのかは見えません。
| 予想どおりの書き方 | 版3で選んだ細部 | 何が見えるか |
|---|---|---|
| 何度も手をかざした | 両手の指をいっぱいに広げていた | 指の本数を変えるという、真剣で見当違いの工夫 |
| 必死に探した | センサーの小窓を探して、蛇口の根元をのぞき込む | 探す場所は合理的なのに、そもそも前提が外れている |
| 子どもに教えられた | 細いレバーを「ひょいと」上げた | 大人の苦労と、子どもの手軽さの差 |
| 簡単に水が出た | レバーは、親指一本で上がった | 苦労のあとの、拍子抜けするほどの軽さ |
細部は、多ければよいわけではありません。版3でも、手の動きを並べたのは一つの段落だけです。何段落にもわたって手の動きを並べると、読者は途中で数えるのをやめ、ずれではなく作業の記録を読んでいる気分になります。
もう一つ大事なのは、していないことを足さないことです。「踊り狂っていた」は、面白くしたくて動きを作った例です。エッセイの読者は、書かれたことを書き手が実際にしたこととして読みます。覚えていない動きを足したくなったら、足さずにおくか、「たしか」「だったと思う」と記憶のあいまいさを残します。場面の細部をどこまで書くかは、エッセイの描写の書き方で、焦点に必要な描写の選び方として扱っています。
期待と現実のずれを、順番で見せる
予想と実際のずれは、書く順番で効き方が変わります。
答えを先に言う書き方から、期待を先に置く書き方へ
修正前
蛇口は、実は手動のレバー式だった。それなのに私は自動だと思い込み、手をかざしたり振ったりしていた。
修正後
改装したばかりのフードコートは、手洗い場の蛇口まで新しかった。(中略)私はその下に両手を差し出した。
水は出なかった。
変更の理由
- 修正前は、最初の一文で答え(手動だった)を明かしています。読者は答えを知ったうえで手の動きを読むので、場面は失敗の報告になります。
- 修正後は「蛇口まで新しかった」で、書き手の期待(新しい店なら自動のはず)を、言葉で説明せずに読者と共有しています。答えは、男の子がレバーを上げる場面まで出しません。
- 最初に答えを言う書き方が合う場合もあります。失敗そのものより、そのあとの自分の反応を中心にしたい一篇なら、先に事実を一文で伝えてしまうほうが話が早く進みます。
視点のずれは、相手の目に映った自分を一つの視線で見せます。版3では「男の子は私の顔を見て、それから、まだ宙に浮いたままの私の両手を見た」と書きました。「男の子から見れば、私は蛇口に手を振る変な大人だっただろう」と説明する書き方もできますが、視線の動きだけを書いたほうが、読者は自分でその絵を思い浮かべます。説明の一文を書くなら、視線の場面のあとではなく、代わりに置きます。両方あると、同じことを二度言うことになります。
自分への距離をとる
自分の失敗を書くときに難しいのは、自分との距離です。近すぎると自分を責めすぎ、遠ざけようとすると言い訳になります。版3の「知ってる」のあとに置く一文で比べます。
作例近すぎる:自分を責めすぎる
知ってる、と答えた私は、本当に救いようのない見栄っ張りだ。何十年も生きてきて、蛇口一つ使えない。情けなくて涙が出そうだった。
作例遠ざけすぎる:言い訳をする
知ってる、と答えたのは半分は本当だ。レバーが後ろにあるなんて、誰が見たって分かりにくい。設計した人のほうに問題がある。
作例距離をとった一文(版3)
自分の声が、思っていたより早かった。
自分を責めすぎる版は、読者を笑わせるより、なぐさめなければいけない気分にさせます。言い訳の版は、笑いの的を自分から設計者へ移しています。版3の一文は、自分の反応を声の速さという外から見える事実で書いています。他人を観察するのと同じ目で、当時の自分を観察している書き方です。
距離をとるこつは、今の自分が、当時の自分を少し離れたところから見ることです。「指の本数で反応が変わるとでも思ったのだろうか」も、今の書き手が当時の自分へ向けた一言です。突っ込みは一篇に一つか二つにします。何度も入れると、書き手が自分の失敗を面白がっている様子ばかりが前に出ます。
会話と間の使い方
おかしさは、短いやりとりと、そのあとの間から生まれることもあります。間とは、言葉と言葉のあいだに置く、何も言わない時間です。
会話のあとで説明する書き方から、間を置く書き方へ
修正前
「これ、ここだよ」と男の子に言われ、私は思わず「知ってる」と言ってしまった(笑)。知らなかったくせに、なんて大人げないんだろう。
修正後
「これ、ここだよ」
「知ってる」
自分の声が、思っていたより早かった。男の子は私の顔を見て、それから、まだ宙に浮いたままの私の両手を見た。
変更の理由
- 修正前は、「知ってる」のあとすぐに「知らなかったくせに」と種明かしをしています。読者が自分で気づく前に、書き手がおかしさを説明してしまっています。
- 「(笑)」は、ここが笑うところだと読者に指示する記号です。気軽なSNSの投稿なら合うこともありますが、エッセイの本文では、場面のほうで笑えるようにします。
- 修正後は、会話を一行ずつ独立させ、そのあとに男の子の視線という短い動作を置きました。男の子が何も言わないことが、そのまま間になっています。
会話を使うときに気をつけたいのは、次の三つです。
- やりとりは一往復か二往復にする。長い会話は、おかしさより情報の受け渡しになります。
- 言われていない気の利いた台詞を作らない。思い出せない言葉は「そんなようなことを言った」と地の文で書きます。
- 落ちの台詞のあとに説明を足さない。最後の一言で終えるか、短い動作を一つ置いて終えます。説明しない結びの考え方は、エッセイの終わり方で比べています。
他人を笑いものにしない
同じ出来事でも、笑いの的をどこに置くかで、一篇の性格はまったく変わります。版3の男の子の場面を、他人を笑う方向で書き直すと次のようになります。
他人を笑う版と、自分の見方を描く版
他人を笑う方向に寄った版
隣に来たのは、いかにも生意気そうな顔の男の子だった。蛇口の後ろのレバーを上げると、「これ、ここだよ」と、上から目線で言ってくる。最近の子どもは、大人を大人とも思わない。少し離れた席では、母親らしき人がスマートフォンから顔も上げずにいた。
自分の見方を描いた版(版3)
小学二年生くらいの男の子が、隣の洗面台に来た。男の子は蛇口の後ろに手を伸ばし、細いレバーをひょいと上げた。水が出た。
「これ、ここだよ」
「知ってる」
自分の声が、思っていたより早かった。
変更の理由
- 修正前では、笑いの的が、男の子の顔つきや口ぶり、「最近の子ども」という集団、母親の様子へ移っています。どれも、蛇口をめぐるずれとは関係がありません。男の子は親切に教えただけで、何も間違えていません。
- 書き手自身の勘違いが見えなくなり、恥ずかしさを隠すための文句に読めます。読者には、おかしさより書き手の不機嫌や優越感のほうが目につきます。
- 修正後は、男の子を正しいことをした人として書き、ずれを書き手の側だけに置いています。笑われているのは、書き手の思い込みです。
書き上げたら、笑いの的がどこにあるかを確かめます。
確認表笑いの的を確かめる
-
笑いの的は、自分の思い込み・勘違い・見当違いの努力になっている
-
相手の年齢・容姿・話し方・方言・職業・国籍・障害・病気などが、笑いの理由になっていない
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相手が何も間違えていないのに、相手を下げる言葉(「〜のくせに」「さすが〜」「いかにも」)を使っていない
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「最近の若者は」「年寄りは」のように、一人の出来事を集団の話に広げていない
-
相手が読んだら自分のことだと分かる場合、その人の前でも読める内容になっている
-
家族や知人の失敗談を材料にするときは、本人に話して了解を得ているか、得られない理由を考えた
家族の失敗談は、書く側にとっては気軽な題材に見えます。けれど、本人にとっては人に知られたくない話かもしれません。名前を出さなくても、身近な人には誰のことか分かることがあります。実在の人を書くときに、公開前に確かめる情報や相談のしかたはエッセイに家族や知人を書くときの確認で整理しています。
笑いのあとに、考えを一つ置くなら
笑いの一篇は、版3のように場面だけで終えても成り立ちます。そのうえで、おかしさの奥にあった自分の考えを書きたいときは、短い段落を一つ足します。作例のメモの最後の行を使うと、次のようになります。
作例版3のあとに置く段落(例)
考えてみると、近所のスーパーの入口も、駅のトイレも、手を出せば何かが動く。この数年で、私は物の前に立って待つことに、すっかり慣れていたらしい。
ここでも、「便利さに頼りすぎてはいけない」とは書きません。言い切った途端に、笑いの一篇が反省文に変わるからです。考えは、自分がどうなっていたかの観察にとどめます。
自分の小さな失敗で、一場面を書いてみる
練習小さな勘違いを、版3の形で書く(30分)
- 最近の小さな勘違いや失敗を一つ選びます。誰も傷ついていない、自分だけが少し恥ずかしかった出来事にします。
- 「〜のはずだと思っていた」と「実際は〜だった」を一行ずつ書きます。
- そのときの自分の手・声・視線・姿勢を思い出せるだけ書き出し、いちばん見当違いに真剣だったものを一つか二つ選びます。
- 「恥ずかしかった」「笑えた」「(笑)」を使わずに、期待→実際の順で、400字ほどの場面にします。
- 最後に、上の確認表で笑いの的が自分の側にあるかを確かめます。
うまく笑いにならなくても、失敗ではありません。出来事を細部で書けていれば、それは面白さとは別の味のある一篇になっています。無理に笑いを足すより、細部を残すほうを選んでください。
体験の選び方や構成、推敲まで、エッセイの書き方を本で順に学びたくなったら、エッセイの書き方を学ぶ本で、自分が詰まっている工程に合う入門教材を比べています。