エッセイと日記・随筆の違い|同じ出来事を読者に向けて書き直す
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この記事の答え
エッセイと随筆は、辞書でも互いの言い換えとして載っており、はっきり別のジャンルとは言えません。日記との違いも呼び名より、誰に向けて、何を選んで書くかに表れます。
- 日記は、出来事を日ごとに記録する。読む人は主に自分なので、前提の説明や取捨選択はいらない
- エッセイは、前提を知らない読者に向けて、一つの場面と考えを選んで書く
- 日記を素材にするときは、場面を一つ選び、私的な呼び名や「例の」を補い、無関係な出来事を省く
目次
日記なら毎日書けるのに、それを人に読ませる文章にしようとすると、どこを変えればよいのか分からない。そんなときは、呼び名の違いを覚えるより、同じ出来事を二通りに書いて比べるほうが早く分かります。この記事では、辞書の説明で「エッセイ」「随筆」「日記」の意味と重なりを確かめたあと、架空の出来事「実家から届く米袋の札」を、私的な日記と読者向けのエッセイに書き分けて、省いた情報と補った情報を一つずつ見ていきます。作例の出来事と書き手は架空です。
辞書で見る「エッセイ」「随筆」「日記」の意味と重なり
まず、三つの言葉が辞書でどう説明されているかを並べます。いずれもコトバンクに収録された辞典の記述からの抜粋です。
| 言葉 | 辞書の説明(抜粋) | ほかの言葉との重なり |
|---|---|---|
| 随筆 | 「自己の見聞・体験・感想などを、筆に任せて自由な形式で書いた文章。随想。エッセー。」(デジタル大辞泉) | 説明の中に「エッセー」が言い換えとして入っている |
| エッセー | 「自由な形式で意見・感想などを述べた散文。随筆。随想。」のほか、「特定の主題について述べる試論。小論文。論説。」(デジタル大辞泉) | 一つ目の意味は随筆とほぼ同じ。二つ目は論文寄りの意味 |
| 日記 | 「できごとや感想を一日ごとにまとめ、日づけをつけて、その当日または接近した時点で記録すること。」(精選版日本国語大辞典) | 見聞や感想を書く点は随筆と共通。日ごと・日付つきで記録する点が違う |
この表から分かるのは、随筆とエッセイが辞書の上でもかなり重なっていることです。どちらも「見聞・体験・感想」を「自由な形式」で書く文章として説明されています。
一方で、違いを指摘する説明もあります。改訂新版 世界大百科事典の「エッセー」の項は、この語は本来「日本語の〈随筆〉よりもっとまじめな論考をさすはず」だと述べています。百科事典マイペディアの「随筆」の項は、欧米のエッセーと比べて、随筆には主題や方法に一層の自由と即興的な味わいがあるとしています。つまり、どの辞典も同じ線を引いているわけではありません。
この記事では、随筆とエッセイをほぼ同じ種類の文章として扱います。そのうえで、学校の小論文や英語の論述型エッセイのように主張を論証する文章(エッセーの二つ目の意味)は対象から外します。応募先や媒体が「随筆」「エッセイ」のどちらかの呼び名を使っている場合は、その募集の説明に合わせれば十分です。
「随筆」という呼び名には幅がある
「随筆」という言葉が指してきた範囲も、思うより広いものです。コトバンクの「随筆」の項から、いくつかの記述を拾います。
- 日本大百科全書は、随筆の内容を「自然・人事・歴史・社会に関する見聞・批評・思索あるいは研究考証など、多岐にわたって」と説明しています。体験の文章だけでなく、考証や批評も含みます。
- 改訂新版 世界大百科事典は、中国の書『容斎随筆』について、その内容が学問的考証で占められていると述べています。日本で「随筆」の二字を書名に使った最初の例としては、室町時代の一条兼良『東斎随筆』が挙げられています。
- 古典の代表作として挙げる作品も、辞典によって少しずつ違います。ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典は『枕草子』『徒然草』『方丈記』を挙げ、日本大百科全書は『方丈記』を「むしろ明確な構想のもとに叙述された、作者の思想表現の書というべきか」としています。
この記事で扱う「エッセイ」は、自分の体験と、そこから考えたことを書く短い文章です。それも随筆の一つの形ですが、随筆という呼び名そのものは、もっと広い文章を含んできた、と知っておくと、定義に縛られずに済みます。
「日記」と名のつく文学もある
日記の側にも重なりがあります。改訂新版 世界大百科事典は、日記が年代記・回想録・手記と区別されるのは「構成することなく日ごとに書く点」だとしています。同じ項目は、日本では『土佐日記』や『蜻蛉日記』のように、紀行や回想録、随筆などの文学作品で日記と称したものも少なくないと述べています。
呼び名だけでは、日記・随筆・エッセイの境目は決まりません。書き手にとって役に立つのは、その文章を誰が読み、そのために何を選んでいるかという見方です。
違いは「誰に向けて、何を選ぶか」に出る
ここからは、自分の記録を読み物に書き直したい人のために、私的な日記と、読者に向けたエッセイを比べます。どちらが上ということではありません。目的が違うので、よい書き方も違います。
| 比べる点 | 私的な日記 | 読者に向けたエッセイ |
|---|---|---|
| 主な読者 | 未来の自分 | 書き手のことを知らない人 |
| 並べ方 | 起きた順。その日の出来事をまんべんなく | 伝えたい考えに必要な場面を選び、順番も組み立てる |
| 前提の説明 | いらない。「例の」「いつもの」で通じる | 読者が知らない人・場所・事情を一言補う |
| 日付・天気 | 記録として大切 | 必要なときだけ。「十月の半ば」程度で足りることが多い |
| 考え | 書いても書かなくてもよい。結論がなくてよい | 場面から何を考えたかが、一篇の芯になる |
| 長さの単位 | 一日 | 一つの場面と一つの考え |
日記にとって、説明の省略や出来事の並列は欠点ではありません。未来の自分が読み返して、その日を思い出せれば目的は果たしています。省略が多いからこそ、毎日続けられます。
ただ、その日記をそのまま他人に見せると、読者は「例の」が何を指すのか分からず、いくつもの出来事のどれを追えばよいかも分かりません。エッセイに書き直すとは、未来の自分なら補える部分を、知らない読者のために補い、追わなくてよい部分を省くことです。
ブログやSNSで日々の出来事を公開する「公開日記」のような書き方もあり、日記とエッセイの間には連続した段階があります。自分の文章がどちらに当たるかを決めるより、読む人に必要な情報がそろっているかを確かめるほうが、書き直しには役立ちます。
同じ出来事を、日記とエッセイで書き分ける
ここからは架空の書き手の、同じ一日を使います。一人暮らしの書き手のもとに、実家の母から毎年送られてくる米が届いた日です。まず日記です。
作例作例:私的な日記(架空の書き手)
十月十二日(日)くもりのち雨
七時半起き。洗濯二回。昼、駅前のパン屋でカレーパン。
十四時すぎ宅配。実家から米十キロ。例の札、今年も。引き出しへ。これで七枚。
並べてみた。字、また大きくなってる? 気のせい?
Hに写真送る→「お母さんらしい」。
夜、鍋。母に電話→留守電。届いたとだけ。
明日から出張。資料まだ。
書き手本人にとっては、これで十分な記録です。「例の札」が何か、なぜ「七枚」なのか、「H」が誰かは、自分なら分かります。
次に、同じ出来事を読者に向けて書き直したエッセイです。
作例作例:読者に向けたエッセイ「札」(架空の書き手・約550字)
台所の床に下ろした米袋の口に、白い厚紙の札がガムテープで留めてあった。黒いマジックで「新米」、その下に今年の年。母の字だ。
実家の母は、毎年十月の半ばになると米を十キロ送ってくる。近所の農家から分けてもらう新米で、札はそのたびに袋に付いてくる。一人暮らしを始めた最初の年、なんとなく捨てられずに台所の引き出しにしまった。それから毎年同じ引き出しに重ねてきて、今年の札が七枚目になる。
夕飯の前に、七枚を古い順にテーブルに並べてみた。並べたのは初めてだった。「新米」の二文字が、右へいくほど少しずつ大きくなっている。一枚目では札の真ん中に収まっていた「米」の字が、七枚目では、はらいの先が札の端からはみ出しかけていた。
字が大きくなった理由は分からない。目が疲れやすくなったのかもしれないし、マジックを太いものに替えただけかもしれない。母は電話でそういう話をしない人で、私も聞いたことがない。ただ、年に二度しか帰らない私が、母の変わったところに最初に気づいたのが、顔でも声でもなく札の字だったことは確かだった。
七枚を重ね直して引き出しに戻し、母に電話をかけた。呼び出し音が六回鳴って、留守番電話に切り替わった。「届いたよ。今年もありがとう」とだけ吹き込んで、切った。字のことは、言わなかった。
省いた情報・補った情報・変えた情報
二つの版を一行ずつ比べると、エッセイ版で何をしたかが分かります。
| 日記の記述 | エッセイでの扱い | 理由 |
|---|---|---|
| 日付・天気・起床時刻 | 省いた。季節は「十月の半ば」で示した | 記録には大切だが、札の話には関係しない |
| 洗濯、パン屋、鍋、出張の準備 | 省いた | その日の出来事ではあっても、札の場面とつながらない |
| 「Hに写真送る」 | 省いた | 友人の一言は面白いが、入れると話の中心が母から友人へ移る |
| 「実家から米十キロ」 | 誰が、いつ、どこの米を送るのかを補った | 読者は書き手の家の習慣を知らない |
| 「例の札」「これで七枚」 | 札の見た目と、一人暮らしの年から取ってあることを書いた | 「例の」は書き手にしか通じない。七枚の意味が分からないと、並べる場面が生きない |
| 「並べてみた。字、また大きくなってる?」 | 一段落の場面にした。「米」のはらいがはみ出しかける様子まで書いた | 記録の一行を、読者が目で見られる場面に広げた |
| 「気のせい?」 | 理由は分からない、と推測であることをはっきりさせた | 母の体調について、確かめていないことを事実のように書かない |
| 「母に電話→留守電。届いたとだけ」 | 結びの場面にし、「字のことは、言わなかった」を加えた | 日記では事実の記録だった電話が、エッセイでは考えを受け止める最後の行動になる |
日記の素材のうち、エッセイ版に残したのは半分ほどです。残らなかった素材もむだではありません。「Hに写真を送ったら『お母さんらしい』と返ってきた」は、別の一篇の種として日記に残しておけます。
書き分けで変わったのは、言葉の上手下手ではなく、どの情報を出し、どれを省くかです。日記版の短さと、エッセイ版の補いは、それぞれの読者に合わせた結果です。
記録の一行を、読者が見られる場面にする
日記の文は多くが「記録」です。何が起きたかを短く残します。エッセイの中心になるのは「場面」で、読者がその場にいるように、物・動作・言葉を見せます。
記録から場面へ
日記の記録
並べてみた。字、また大きくなってる? 気のせい?
エッセイの場面
夕飯の前に、七枚を古い順にテーブルに並べてみた。並べたのは初めてだった。「新米」の二文字が、右へいくほど少しずつ大きくなっている。一枚目では札の真ん中に収まっていた「米」の字が、七枚目では、はらいの先が札の端からはみ出しかけていた。
変更の理由
- 「並べてみた」に、いつ、どこに、どんな順で並べたかを足しました。読者はテーブルの上の七枚を思い浮かべられます。
- 「字、また大きくなってる?」を、「米」のはらいという一点の変化に置き換えました。「大きくなった」と書くより、どこがどう変わったかを見せるほうが、読者も同じものに気づけます。
- 「また」は省きました。日記の書き手は前の年にも気づいていたようですが、それを書くと「いつから気づいていたのか」という別の話が始まります。
エッセイのすべてを場面で書く必要はありません。二段落目の「実家の母は、毎年十月の半ばになると米を十キロ送ってくる」は、記録に近い要約の文です。前提を手短に伝えるところは要約、考えの芯に関わるところは場面、と使い分けると、短くても読みやすい一篇になります。
書き直すときは、記憶・推測・創作を分ける
体験を書いたエッセイは、断り書きがなければ、書き手が実際に体験したこととして読まれます。日記を素材にして書き直すときは、次の三つを混ぜないようにします。
| 種類 | 作例での例 | エッセイでの扱い |
|---|---|---|
| 記録・記憶 | 札が七枚ある。母に電話をかけたら留守番電話だった | そのまま書く。日付や言葉は日記で確かめられる |
| 推測 | 母の字が大きくなったのは、目が疲れやすくなったからかもしれない | 「かもしれない」「分からない」と、推測であることが分かる形で書く |
| 創作・脚色 | 留守番電話ではなく母が出て、字のことを話したことにする | 体験として発表するなら避ける。変える場合は、どこまで変えたかを自分で把握しておく |
日記が素材として役立つのは、記憶違いを確かめられるところです。何年も前の出来事を書くとき、会話の言葉や順番は記憶の中で少しずつ変わります。日記に「届いたとだけ」と残っていれば、電話で何を言ったかを後から作り足さずに済みます。
会話の細かな言い回しまで正確に覚えていないことは、よくあります。覚えている範囲の言葉で書くのは普通のことですが、話の結論を変えるような台詞を足すと、体験の文章から創作へ近づきます。登場人物を合わせたり、時期を入れ替えたりする場合も同じです。どこまで変えたら体験として発表しないか、という線は書き手が決めることですが、変えた箇所を自分で説明できる状態にしておくと、後で迷いません。応募や掲載の場合は、その募集に体験の扱いについての規定がないかも確かめます。
家族や知人を書くときに、名前や特定につながる情報をどこまで出すかは、エッセイに家族や知人を書くときの確認で整理しています。
日記を素材にしてエッセイを書く手順
自分の日記や手帳のメモから一篇を書くときは、次の順に進めます。
手順日記からエッセイへ書き直す手順
- 読み返して、気持ちが動いた行に印を付ける。書いた当日より、少し時間がたってから読むほうが、印の付く行がはっきりします。作例では「並べてみた。字、また大きくなってる?」がその行でした。
- 印の行を中心に、場面を一つ決める。同じ日の別の出来事は、いったん全部外します。外した出来事は、別の一篇の候補として日記に残しておきます。
- 私的な言葉を書き出して、補うか削るか決める。「例の」「いつもの」、略した人名、数字だけの記録(「七枚」)など、自分にしか通じない言葉を一つずつ拾います。
- 記録の一行を、場面に広げる。いつ、どこで、何を見て、何をしたかを足します。気持ちの言葉は、場面のあとで必要な分だけにします。
- 確かめたこと・推測・変えたことを分ける。推測は推測の形で書き、変えた箇所は自分のメモに残します。
- 最後の行動か言葉で終える。日記では事実の記録だった出来事が、結びの場面として使えることがあります。
練習自分の日記の一日を書き分ける(20分)
- 自分の日記か手帳、スマートフォンのメモから、一日分を選んで書き写します。
- その中で、私的な言葉(例の・いつもの・略称・数字だけの記録)に線を引きます。
- 一つの場面を選び、線を引いた言葉を補いながら、300〜500字の場面に書き直します。
- 書き直した文章から、日記の何を省き、何を補ったかを表にしてみます。
日記をそのままブログに公開したら、それはエッセイですか
呼び名を決める必要はありません。公開した日記として読まれる文章もありますし、日記の形式のまま読み物として楽しまれる作品もあります。大切なのは、読む人が「例の」や略称でつまずかないか、どこを追えばよいか分かるかです。読者を意識して手を入れた分だけ、エッセイとして読まれやすくなります。
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